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自分を愛す⑦自分より「他人の目」が大事な人はワクチンを打ってしまう~大切な人が話を聞いてくれないとお嘆きのあなたに~

10月から新しいタイプの新型コロナワクチンの接種が開始されようとしています。この危険性は日本看護倫理学会など医療関係者も警告を発しているほど深刻なものです。それでもいまだに親や家族・友人など大切にしている人にこの危険性を話しても、その人たちが聞く耳をもってくれないと悲しく思っている人が多いのが現実です。原因がわかれば対処もわかるので、今回はそれを書きます。
 
帰省した時に親に話して、その時は打つのをやめると言ったのに、後で親が打ったのが分かって悲しく思った。このようなご相談が多いので、この例を考えましょう。
 
今まで接種していた人が、打つのをやめたらどうなるでしょうか?
①医者や看護師など、病院関係者から優しく扱ってもらえなくなる。
 ワクチンや薬は危険などと言おうものなら、通常の医療関係者は冷たい態度になります。病気になったら病院でしか治せないと思っている人達にとって、これは大変困ります。そこまで行かなくても、病院に定期的に通っている人にとって医者や看護師から「どうしました。大丈夫ですか。」など自分を気遣う言葉をもらえなくなることは避けたい事態です。
 
②ご近所さんなどとの会話がなくなる。
 「案内は来た?。いつ打つ?。打って副反応は?。熱が出たのですか、それは大変でしたね。実は私も。。」などのように、ワクを打つことにより共通の話題だった会話ができなくなります。薬を悪く言う人をおかしな人と思っていた人は、今度は自分が白い目でみられることになると思えば恐怖でしょう。
 
いかがでしょうか?ワクをやめるということは、今までの他人との関係が、突如として消えてしまうのです。
前回「自分を愛す⑥意識する」で、見られていることが存在だと書きました。人から見られなくなった自分の存在は、無いに等しいのです。このことが、毒を飲めば死んでしまう、その存在の否定より怖いことなのです。
肉体的な死より、社会的な死のほうが怖いということでしょう。確かに、打たないと会社をクビになるから打つとか、最近では匿名で、自社製品を売りたくないという本をだした人もでてきました。仕事を失いたくなくて自分を曲げるという人もいると思います。
 
ご高齢のかたは寂しさや不安を感じている人が多いです。だから、見られて、愛を向けられていることを必要とします。先の例で、帰省の時に打つのをやめると言ったのは、その時に子供からの愛を欲したからかもしれません。でも子供はすぐ帰ってしまいます。そのあとの長い時間、その土地の人から見られることを欲して打つことに変わったとしても不思議ではありません。
 
結論として。
自分の真の存在より、他者の目に写る存在のほうが大事。これは潜在意識レベルで行われているので、顕在意識に浮上したとき、ワクチンの危険性の話を拒絶する、という態度に出ます。話を受けつけないことで、自身を守っているのです。
どんなに科学的データを示そうと理解されない。話を尽くそうと理解されない。そう感じたときは、このことを思い出していただくと、違った角度から話を進めることができると思います。
 
他人の目の中に自分の存在を見出している人は、これほどに危ういのです。そして、日本人は自分より人のためにが良しとされている世の中なので、より危ういのです。世界のほとんどがワクチンの危険性を理解しているのに、日本は未だにその議論さえタブー視されているのは、そのためともいえるでしょう。
 
こんな社会の中で、毒物を体の中に入れるのは嫌。自分の肉体が損なわれることをしたくないと考える、至極まっとうな人はどうしたらいいでしょうか。他人からの視線に流されず、社会の目に負けないためには。
 
それは自分を愛すことです。
他人が自分を見なくても、自分が自分を見て、自分を存在させるのです。
他人が自分を見なくても、自分を愛して、自分を満たすのです。
そのとき、肉体的にも精神的にも、自分の存在が強固なものとなります。
そして今は、そんな人が増えているので、自分を愛したあなたを愛してくれる他者が増えてきていることでしょう。
 
実は、私が「自分を愛す」シリーズを書き始めたきっかけは、この回のためでした。
そして「自分を愛す」ということが、地球が次元上昇している中、2025年というひとつの節目の年を楽に迎える秘訣なのではと思っています。
どうぞ皆様ご自身を愛して、これからも笑顔溢れる楽しい人生を過ごしてまいりましょう。


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