創作『境界線が溶けるとき』
夢を見ていた。
何度も、何度も繰り返して。
僕はあの頃、暇なときは図書館に入り浸っていた。
特にすることもなかったし、強いて言うならば、図書館という場所が好きだった。
同じ空間にいるのに、皆が別の世界に入り込む。
小さな小さな、手のひらにある夢の中へ。
そして、僕も夢へと沈んでいった。
図書館で本を読んでいたはずだったのだけれど。
僕は1人の女の子と出会った。
年格好は同じくらい。
まさしく偶然の出会い。
彼女が落とした本を拾うなんて、今時ドラマでもあり得ない、ありふれた偶然。
自分でも笑ってしまうのだが、あの瞬間、間違いなく僕は恋に落ちていた。
なんてチープな映画なんだろうか。
でも仕方がない、夢なんだから。
そう思っていた。
その日以降、何度も彼女に会うことになるなんて想像もしていなかった。
夢の中で。
それも、決まって図書館の、いつもの座席。
僕たちは、初めて出会ってから普通に恋を始めた。
好きな本について話した。
喫茶店で珈琲を飲んだ。彼女は決まって砂糖を2つ入れた。
甘くないのかと僕は笑った。
他愛もない話。
お互いを好きだということは、なんとなくわかっているような気がしていたけれど、その言葉を口に出すことはなかった。
これからについて、だとかそういう話はしたことがなかったしする必要も感じなかった。
だって、いつまでもこの夢のような幸せが続くと思っていたから。
夢なのに。
夢だから。
僕は目を覚ますと、いつもどちらが現実なのか曖昧になっていた。
それくらい彼女は実態を伴っていて、
色彩も、香りも、感覚も、すべてが僕の手の中にあるように思えていた。
その日も僕は、いつものように居眠りをした。
図書館の、いつもの座席。
そして、いつものように彼女に会う。
デートをしていた。
手をつないで歩く。
どこへ行こうかと聞くと、どこでもと笑った。
日常のような、非日常。
ただ、歩いた。それだけ。
歩き始めた頃はとても青く輝いていた空が、橙色に染まっていた。
「このあと、太陽が沈み切って、まだぼんやり明るい空が僕は好きなんだ。」
「薄明の空、っていうのよ。」
「知らなかった。君は物知りだね。」
「だって、夢が始まる時間だから。」
「夢。」
「そう、夢。あなたは、このまま夢が覚めなかったらどうする?」
「覚めない夢はないよ。どんな夢も必ず終わりがあるんだ。」
「現実的ね。」
「そうだ、僕は現実的なんだ。」
2人は揃って、空を見ていた。
橙色が、桃色に変わって、そして深い青色。
太陽の光が消える。
彼女の横顔をちらりと見ようとする。
君はもう、そこにはいない。
いつも通り、目が覚めたのだと思った。
夢から現実へ、そう、いつもの図書館。
また会えると、思っていた。
いつもの図書館、いつもの座席、いつもの居眠り。
でも。
もう君はいない。
彼女の夢を見ることは二度となかった。
それから僕は、図書館へ行くのをやめた。
もう意味を見出せないのだから。
しばらく経つと、夢のことなんて忘れていた。
彼女のことも、そういえばそんなことあったかなぁと思うくらいには。
その日僕は歩いていた。用事があったのだ。
足早に通り過ぎる、街並み。
特に変わったことのない日常。
ふと気が付いた。
今日はどこへ行ってきたっけ。
喫茶店で珈琲を飲んだ。砂糖は2つ。
図書館で本を返却した。本を落とした。拾ったのは誰だった。
そして、歩く。
見たことがある風景。
そうだ、あの日、夢の中で彼女と会っていた場所。
空を見上げる。
橙色、夕焼け空。
もうすぐ僕の好きな、あの空になる。なんだっけ。
『薄明の』
ああ、薄明の空だ。
陽が沈み、空がぼんやりと暗くなる。深い青。
『夢が始まる時間よ』
夢?そうだ、君に会うには夢の中へ。
どうやって、どうしたらそこへ行けるんだ。
『目を閉じて』
わからない。あの時感じた想いがなんだったのか。
だって君はいないじゃないか。
ただの夢。
『そう、夢』
でも僕は。確かに触れたんだ。
だからもう一度、もう一度この手をとって。
目をあける。
そこは、夢なのか、現実なのか。
もう僕にはわからない。
別のところで書いている創作物。pixivに掲載。
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