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大好き怖い

「人間誰でも怖いものってぇのがあるんだ。それは何故かってえと…」

落語、まんじゅうこわい、の冒頭部。

わたしの怖いもの。それは娘からの「だいすき」だ。

まんじゅうこわい、と違って、本当に「だいすき」が怖いのだ。怖くて怖くてたまらない。

幸せな言葉のはずなのに。たくさん言ってもらいたいはずなのに。

娘は、わたしのことが大好きだ。それは紛うことなき事実であり、そこに裏も表もない。屈託のない笑顔で「ママだーいすき」と飛びついてくるのは、たまらなく愛おしい。

それだけならいいのに。

わたしは、娘に対して怒ることがある。

片付けして、テレビおしまいだよ、人の嫌なことしないよ、ご飯だよ、寝る時間だよ、おふざけやめようね、いい加減にしなさい、やめなさい

毎日、毎日。同じこと。いつものこと。叱ること。

でも、叱るだけでなく、怒ってしまっているという自覚。

娘はそんなとき、「ママ、だいすき」と言う。

貼り付けたような笑顔で。

多分、これは、怒られたから。わたしが彼女に対して苛立って腹を立てていることをわかっているから言うのだ。

わたしは我に返る。
でも、止められないときもある。
ママに怒られたから好きって言ってるの?
娘は涙を目にいっぱい溜めて、「ママだいすきなの」と答えるのだ。

このときの、だいすきが、心底怖い。
わたしは娘への対応をすべて間違っているのではないだろうか。
恐怖心を植え付けて支配しているみたいになっているのではないだろうか。

だいすきって、言わないで。

いつもと違う笑顔でこっちを見ないで。

おかあさん、もっとやさしくなるから。やさしく言えるようになるから。

叱るのも、怒るのも、もうしたくないのだ。

人を育てるのは難しい。
自分の未熟さと向き合わねばならないのだから。

どうしたら毎日やさしくなれるのかなあ?
夜もうまく眠れなくなって、それでいて5時台には「おはよーあっそぼー」と言ってくる娘に対応できる力が、損なわれている。

少しばかり、疲れているのだ。
そうだ、なにかおいしいものを食べて、ひとりになって、ゆっくりするのだ。

ひとりになりたーいね。

おしまい。懺悔のようなひとりごと。


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