一番大事な人にNVCを届けられた日
こんにちは、NVC(共感コミュニケーション)をツールに自分の大事にしたいことを探すセッションやワークを開催しています、さーよです。
NVCを知り、学び、その気づきや視点が衝撃すぎて、身近な人にも知ってほしいと場を作り始めてから4年目に入りました。
場をひらくことで、たくさんの出逢いがあったり、共に学ぶことでたくさんの気づきや変容の瞬間に立ち会うことができました。
自分も含め、身の周りには、生き方や価値観が変わり、軽やかに人生を歩み始めた人がいっぱいいます。
一方、NVCを伝えたことがきっかけになったり、伝えたタイミングがそのかたのタイミングでなかったために距離ができてしまったこともあります。
断絶が起こるたび「こんなはずではなかったのに…」とたくさん泣いたし、嘆きました。
それでも動きつづけていたので、心は傷だらけでした。
伝えかたを失敗してしまった相手の一人が夫でして。
「願いから行動したい」が「願いから行動すべき」になっていたことに気づかないまま言葉の端々からこぼれ、その圧に嫌気をさした夫に「そんなさ、いつでも願いとかないとダメなの?!」と反撃される、なんてことも起きました。
当時、軽度のNVCアレルギーを引き起こしていたと思います。
わたしの心の中では「そんな考え方をしていないで、さっさと聡子さん(師)のところに学びにでも行ってほしい」と思っていました。
ふり返れば恥ずかしいほど、共感コミュニケーションという名を振りかざした、暴力コミュニケーションでした。
それ以外も願いが強要になっている自分に気づく(気づくしかないw)出来事が、何度も起きてやっと自覚的になり、相手の思いやスペースやタイミングも大切にしながら自分の思いを願いとして伝える練習をはじめました。
願いは手放す。
これが難しくて難しくって…。
場作りは来てくれるかたのためでもあるけれど、わたし自身の鍛錬とつながりのニーズが主軸となっています。
NVCって知識として知っていても使わなかったら、生活の中に落とし込むことはなかなかできないんです。
逆に筋肉としてついたらどんなときにも、どんな相手にも使えます。
もちろん自分にも。
鍛錬を続けるうちNVCが正しいわけでも唯一無二のものでもなく、その人に必要なタイミングやツールがあるということを、心の底から感じられるようになりました。
NVC言語やカードを用いなくても、夫の行動や大事にしていることに共感し、その奥にあるニーズを自然な表現で言語化していくことで「それあるね」「そうかもしれない」と夫自身が自分の願いに気づくことが増えていきました。
すると自然と「本当は○○したいんだと思う」「実はこんな願いがある」など、深い願いを話してくれるようになっていったんです。
わたしの場にも興味をもってくれるようになり、きっと心地よい場なんだろうなと想像してくれるようになりました。
NVCをベースに自分を生きる指針を探求するワークショップ『子育て航海術』の内容を夫にも伝えられたらなぁ…。
この講座に出会わなかったら、今のわたしのイキイキさはなかったと思うから。
どんなふうにしたら、実現できるだろうか。
1:1でニーズカードを並べる…?。
いや、なんだかしっくりこない。
無理にしなくても、タイミングはきっとくるさ。不思議とそう信じることができました。
そして、そのタイミングはふと訪れたんです。
ふたりで益子へ出かけた車の中で、最近の仕事のこと、家族のこと、趣味の話をしていると、夫が自分の内側を話しだし、それに共感したり、ニーズを手渡したりするうちに。
今生きている時代(パラダイム)の話、古いの時代の考え方とこれからの考え方や価値観のこと。
お互いに身体や心に組み込まれている「こうあるべき」と考えていること。
そこには大事にしたいものや、これまでのヒストリーが隠れていることなど…。
どんなべきがありそう?
わたしにはこんなべきがあったよ。
ふたりで笑いながら「無意識のうちに、こんなに大事にしたいものを背負い込んでいた」ことに気づき、必要なもの不必要なものを仕分けていきました。
「まだまだたくさんある!」と笑いながら一緒に仕分けていく時間は楽しくて、幸せな気持ちになりました。
「大事な人にいつか、と思っていたことが届けられてうれしい」と伝えると、「話す時間をもつたびに、今まで見えてなかったものが見えるようになって気持ちが楽になっているよ、ありがとう」と言ってくれました。
もしかしたら、近いうちに夫が仕事を辞めるかもしれません。
それは家計の柱がなくなるということで、もちろん怖さも多少あるのですが、それよりも祝福が大きくて、どうするべきかよりもどうしたいのかをふたりで一緒に考えていけたらと思っています。