草原の中の一本が語る風
今日から古典の森へ分け入っていきます。
まずは百人一首からはじめることにしました。
なじみがあるから入りやすいのと、遠く万葉の時代から鎌倉時代に至るまでの長い時間を含んでいる上に、その数はわずか百首。
ぎゅっとまとまった中に王朝和歌の歴史を展望でき、それぞれの時代の歌人や歌柄を知れるのは魅力的だと思ったからです。
推しの歌人とかできたらいいですね。
この百首を選んだ選者はすごい!とつくづく感じ入るのですが、歌の中にある心情、まなざし、流麗でねばりのある韻律に、いちいち倒れます。
よくぞ選んでくれました!と。
百人一首は、新古今集の作品の特色である、構成的・絵画的・知的・技巧的な方面に対する思考を受け入れていると言われています。
洗練された古典の美があるから、長く広く愛されているのでしょう。
ただ技巧がすごいというのではなく(たまに知がたつな、と思う歌もあります)、歌を立体的にして、完全にその時代の、その時、その瞬間にタイムスリップして、作者の目となり心となり味わえる一首になっているのに、いちいち驚かされます。
瞬間そこに周波数が合ってしまうので、倒れます。
百人一首は、すでに多くの方が取り上げているので今更なのですが、現代を生きるわたしの正直な感じ方を書いていますね。
そこは自由でいこうと思います。
古典は長い時代の良し悪しに晒され、浮き沈みをくぐり抜けてきているので、一人の感想などにびくともしないはず。
でも、そこにあらたな光を照射し、あらたな解釈を与えて、次の時代へわたしてゆけたらな、と。
わたしのチャレンジですね。
作品、作者へのリスペクトもあります。
草原の中の一本の草である自覚を持ち、作品に作者さんに向き合ってみたいです。
そんな鑑賞もあるのね!時代がまた変わったのね!同じ気持ち!
感じることがありましたら、どうぞお伝えください、素敵な日本の先人のみなさん。
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