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推せない

推しがいる人たちって人生に彩りがあって
いいなぁって思います。
私は推しが特にいないから…。
強いて言うなら自分が推し!
類は友を呼ぶって本当だなと思うのは
私の周りって自分の写真をロック画面にしてる率高いし、なんならスマホケースも自分の子も。
額装した自分の写真を壁に飾ってるとか。
この前仲良くなった子は、
自分のTikTokの動画鑑賞会始めちゃいましたからね。だから私は控えめかなーっと思っちゃいます。

推すという感覚がなかなか理解できなくて

自分のものにしたいとか
実際に話してみたい
なんなら自分のことを推させたい
とか

そんな風にならずに一定の距離感を保って
節度ある溺愛をできるって
かなり高度な愛情の技巧だなと思うわけです。

私は距離感バグりやすいから。
対象が人間かどうかを問わず
夢中になることと自分をコントロールすること
これらを両立できるのって
もう、統制するコンピュータ自体に
MacとWindows以上に差があるんじゃないかな。

会いたいひと話したいひとがいたら
会って話すのがいいって
そう考えてかなりいろんな(憧れの)人たちと
話せてる人生です。

推せないなぁ、もっと近い距離で話したくなっちゃうもんなぁ。

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