昭和オリエンタリズム

2025年は「昭和百年」ということで、世間ではいろいろとビジネスが動いている。大正15年=昭和元年=1926年。昭和元年は12月25日からの一週間だけだが。
ちなみに、2025年は「ラジオ百年」でもある。1925年3月22日に(社)東京放送局(NHKの前身)が開局した。

ん? スタートが1925年と1926年なのに、同じ2025年に「百年」というのも妙な気がする。元号は一週間後の1927年元日にいきなり昭和2年になってしまうので、この年にラジオの2年目(1926年3月~1927年3月)と並んでしまうのだ。
周年モノというのは「〇〇年目が始まる」と「満〇〇年」が混在するので、どうしてもそうなる。「昭和」は2025年1月1日から「百年目が始まる」で、「ラジオ」は2025年3月22日で「満百年」になる。……という理解でいいよね? 計算、合ってる?

さて「昭和」だ。
最近、この言葉には「昭和レトロ」に代表される全国民的なプラス評価がある。「昭和百年」ムーブメントは、それに乗っかっている。
ところがその反対に、時代錯誤な古い価値観・道徳観に対する「昭和じゃないんだから」という全国民的なマイナス評価もある。
「昭和」という言葉には、まったく相反する二つの評価が混在しているのだ。なぜだろう?

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かつて『「日本の伝統」という幻想』という本にも書いたが、「一つ前はダサく、二つ前以上はロマン」という法則通り、令和の今から見て、二つ前の元号である「昭和」はすでにロマン側に入っている。
「昭和レトロ」「昭和歌謡」「昭和ノスタルジー」…など、若い世代を中心に「昭和」は古き良き時代のキーワードになっているのだ。しかしおそらく、実際に昭和を生きた者としては若干の違和感があるのではないか?

昭和は64年まである。昭和64年=平成元年=1989年だ。しかし昭和64年はこれまた1月7日までの一週間だけ。こんな当たり前のことも、若い世代には歴史上の出来事として実感がないだろう。
長い「昭和」時代のムードを大きく分けると、
戦前の昭和(明るい初期/戦争の後期)
戦後の昭和(終戦~占領期/三丁目の夕日期/高度成長期/バブル期)
…になる。
いま多くの方が「昭和っていいよね」という時の昭和は、映画「ALWAYS三丁目の夕日」的な世界だろう。昭和30年代。つつましく温かい日本人、勤勉で、人と人との触れ合いがあって、公衆道徳が健全で、未来への希望に満ちあふれ…というアレだ。
これに対して私は、「そうかな?」と思うのだ。

かつて、あの映画のプロデューサーである阿部秀司さんに話をうかがったことがある。阿部さんは昭和30年代に少年期を過ごしている。少し年下世代である私も、うっすらとその少しあとの時代の記憶がある。その記憶であの映画を見ると、「昭和30年代って、あんなに古臭くて、しかもいい時代だったかな?」と疑問を抱いた。その感想を阿部さんに言うと、
「映画制作スタッフは若く、当時のことをよく知らない。彼らが思う昭和を描かせたら、ああなった。もちろん私は違うとわかっていたが、彼らが『こうあってほしいと思う昭和』がそれならそれでいいと、あえてそのままにした」とおっしゃっていた。

学術発表ではない。エンタメのヒットを狙うプロデューサーとして、その判断は正しいのだろう。事実、大ヒットしたし。
だから、実際に当時を知らない若い世代が「昭和はああいう時代」と思うのはわかる。「古き良き」というフィルターを通すから、ああなるのだ。
だが、その過剰なプラスイメージに引っ張られ、当時を知っているはずの昭和世代まで、「昭和はよかったなあ。あのまんまだ」と無意識に自らの記憶の塗り替えをしているのではないか? ノスタルジーも手伝ってだ。

考えてみれば、時代劇がそうだ。
江戸時代は約二百六十年あるが、あれは時代劇制作者が「こうであってほしいと思う江戸時代」にすぎない。実際に江戸時代を生きた人はとっくにいないので、誰も違和感をいだかないだけ。
昭和はすでに、時代劇に片足を突っ込んでいるのかもしれない。

だがまあ、そこまでは「一つ前はダサく、二つ前以上はロマン」という法則通りなので、予想通りだ。
しかし「昭和」には、ロマンとはまったく逆のマイナスイメージもある。

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