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《詩》ナルキッソスを描く

慰みの言葉だらけで出来ている、自惚れ者のナルキッソスに
ほどけない、離れられない妬ましさ。そんなんだから空を塞いだ、
毎日を過ごしてばかり——退屈だ、あなたが居ないという事実に。

その話、まだ聞かせるの。心からポロポロ声を失う姿、
でもきっと、あなただものね。望んでた通りでしょう。水面に映る、
姿には飽きることない美しさ。静寂だとあなたは言った。

生きるのに、蹴落とすという一択を選ぶことだけ見続けている
どこまでも憐憫纏う生き物だ。これっぽっちで休まるならと
勘定、している声を厭うのは、エコーくらいだ傍らに居る

顔しかめ、(不純物と変わらない生き方ですね) 軽蔑の目と、
庇うよう包み込んでる献身と。嘆かわしさがくだらなすぎて
どうしても言いたくなった。でもきっと、あなただものね。振り向かないと、

——分かってた。あなたの話す言葉には、いつもいっつもあなた居なくて、
退屈で——その空洞に満たされる、ことがないのはエコーだけって。

2016年2月29日 - 2016年5月20日
ツイート日:2023年3月9日


テルツァ・リーマ(詳細→テルツァ・リーマ - Wikipedia)という定型詩を使っていますが、押韻がとても緩いです。当時の私の押韻は、最後の母音や一文字が揃えばいい、という認識の、大変雑なものでした。
全部で14行、1行は文字数を57577に揃えています。

この詩は、最初は散文詩でした。

 慰みの言葉しか出ないのね、自惚れのナルキッソス。嫉妬に振り回されているだけの、退屈な人と過ごす毎日で空が見えない。あなたが居ないというのは、こんなにも簡単に作れてしまうものなんですね。ああ、いつまでその話を聞かせるつもり。心からポロポロと落として声を失くしていく、姿をあなた、きっと望んでいたのでしょう。水面に映る姿は、望んだ通りの美しさになっていることでしょう。それをあなた、静寂と言葉にするのでしょうね。蹴落とすことでしか生きられない、憐れな生き物なのだ。これくらいで気が済むのなら、安いものだと勘定する声を煩わしく思うのはエコーくらい。(不純物みたいな生き方をしているのですね) あなたの言葉が1つも無いのは、なんて退屈なのだろう。その空洞に満たされることがないのはエコーだけ。

2016年2月29日
当時の私のメモ:吐き出す場所がない。