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発達障害の話

しばらく体調不良でnoteの更新が出来ておりませんでした、今は元気です!(わっしょい)
コロナワクチン接種の数日後から、関連性があるのかは謎ですが、嘔吐、吐き気、頭痛、目眩、動悸、等々に1ヶ月半余り苦しみ、何も食べることもできず体重も5kg減少しました。死ぬかとおもった………なんだったのか結局解らず仕舞いです。
その後、その疲れから来たうつ状態に突入し、あわや入院というところで持ち直したかと思いきや、今度は躁状態になりハイテンションでイライラして眠れぬ日々。それを落ち着かせるためまた薬を調整し…なんとか本調子を取り戻した昨今です。

さてさて今回は、私の発達障害について書きたいと思います。

生まれてから3年ほど前まで、発達障害だと言われたことはありませんでした。妹が小さい頃に発達障害と診断されていましたので、発達障害がどういうものかは少し知っており、大変そうだと思いながら自分にもその気があるのでは…と多少疑いつつ、当時かかっていた病院の先生からは違うと断言されました。長らくお世話になった先生ではありましたが、なんのかんのとまあ色々あり決別。
次に行った病院では、最初の聞き取りからすぐに先生から「発達障害の可能性が高い」と言われました。
発達障害のテストも受けていたので、結果を見るなり「発達障害の傾向が見られます」と。
困りごとを話すと、その度に「発達障害あるあるです!」と力強く言われました。
こちらの心境としては、嘘だろ…?という気持ちと、ホラ見たことか!!という気持ちと半々でした。
でもそのおかげで、障害者手帳2級を取得し、障害者年金の申請も通りました。
猫の最期を看取るため、家から遠いその病院に通うことが困難になり、近くの歩いて行ける病院に変わりました。
そこでもテストを受け、発達障害ですね、と先生にばっちり診断を頂きました。

長らく自分が「普通」だと思ってきたことが「発達障害の特徴」だったということが、様々な発達障害の本等を読んでいくうちに分かってきました。妹がたくさん発達障害の本を持っているため、資料には事欠かないのです。

幼い頃から「しっかりしてる」と言われることが多く、運動以外は割合ちゃんと出来ていたタイプでしたが、度々「なんでわからないの?」「なんで出来ないの?」と大人たちに、私が大人になってからは仕事先の上司などに嫌味みたいに、皮肉みたいにそう言われることが多々あり、私は、そうですよね…ほんとになんでなんでしょうね……と心の中で毎回項垂れました。なんでわからないのかわからない。なんで出来ないのかわからない。
その中でも一番傷つくのは「考えたらわかるでしょ?なんで考えないの?」と強く叱責されることです。
なんというか、これをこうしてこうなったらこれがこうなる、みたいな予測を立てることが非常に不得意で、私の行動で叱責を受けたり迷惑をかけたりすることなんて考えも及ばず、その度に、なんて駄目な人間なんだろうと自分を責めるけど、次に同じことがあったとして絶対もうしないとは言い切れない、そこがとても辛かったです。

小学生の頃から「しっかりしている、期待されている私」を崩せず、大人たちの期待に応えようと一生懸命気を張り続けましたが、何故か分からない、何故か出来ないことがどうしたってちょいちょい顔を出し、都度叱られ、何故なのか私が知りたいと悲しい思いで、自分を責め続け、期待に応えられないなら無価値な人間だと思い、それが月日が経つごとに積もり積もって高校1年生の時に限界を迎え、うつ病になりました。

そりゃあ何もかも完璧になんて、みんなこなせるはずはないですよね。なのに、私は100点の自分でいなくてはいけないと思っていた節があり、注意を受けたり叱られたりする度に自分の中で減点されていってました。加点がつくことは基本的にありませんでした。褒められたり認められたりすることは、当たり前というか、常にそうである必要があると思いこんで頑張っていましたし、両親や学校の先生たちも私にそう望んでいるように見えました。だから尚更、注意、叱責の言葉は深く刺さりました。

他にも、どんなに注意を受けても、忘れ物は減らないし、宿題はなぜだか終わらない。母から何かを注意され、そのタスクを忘れないようにと思っているのに、次の瞬間には注意されたこと自体を忘れ、何度も同じことで母から叱られる。私にはとてもこわいことだったり、不快なことが、なぜか周りにとってはへっちゃらで、一人で大袈裟に騒いでいるだけのように見られる。こういうことが沢山ありました。私は頑張ろうとしても、サボっているわけではなくても、ふざけているわけでもなくても、どうしてもそんな風にしか出来なかったです。

今では、上記のことが発達障害によるものだと理解することができて、本当に楽になりました。
発達障害の認定が下りるまではこれらがただ私の頑張りが足りないだけだと思うしかなく、またそう思うこと自体も普通のことになってしまっていたので、自分の特性を理解するのは本当に大事だなと思います…「出来ないこと」を理解するというか。

まだまだ日々、「これも発達障害あるあるなの?!」と目から鱗が落ちているところで、小さな頃からの答え合わせをしてるような感じです。まだ若干、半信半疑の感も否めなくはない。

最近発覚したのは、「自分の幅が分からない」というやつですね。ボディイメージというものが上手く作れないんだったかな?本で見て、私だ!?ってなりました。昔から、自分で開けたドアの開き方が狭すぎるのに、通れると思って通ろうとして肩やら何やらをドアにガンッ!!とぶつけて青タン作ったり、自転車で走っていて、明らかに狭すぎて通れない所に通れると思って突っ込んで行き、いやこれ通れんバックバック!!してたり…
私はこれ皆普通に少なからずやることだと思っていたので、母に話して「大丈夫…??」と言われたときに初めてアレッ?と不安になりました。
こういうのも、「発達障害あるある」なんだと思えたら、なんとなく楽になれるなって思います。

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