禰豆子チョコバーと漂流した靴の記憶
今日は、次女が風邪気味で近所のかかりつけ小児科に行きました。
症状は軽く、「風邪でしょう」と言われて鼻水の薬をもらい終了。
禰豆子チョコバー
野菜を買って帰ろうと思い、スーパーに立ち寄りました。
スーパーやコンビニに行くと、お菓子のおねだりにあいます。
この日は、新設された鬼滅の刃コーナーで、
禰豆子チョコバーなるものを手に取り「買って」とおねだりしてきます。
パッケージの禰豆子がかわいくて、鬼滅ファンとしてはちょっとうれしい。
「ひとつだけよ」と伝えてカゴに入れようとするのですが、
しっかり持っていて離しません。
レジでシールを貼ってもらったら、嬉しそうにしています。
スーパーではベビーカーを降りて歩きまわっており、
帰りも「乗る?」って聞いても知らんぷりで歩きだしました。
買い物した荷物をハンドルのフックにかけると、
荷物の重みがあるのでバランスを崩しやすく本当は座ってほしい。
仕方なく、荷物を座席に乗せて一緒に歩きだします。
スーパーから家までの道は歩道なのですが、
ところどころ段差があります。
てくてくと歩いていた次女でしたが、
段差につまずきバターンと転んでしまいました。
その拍子に、持っていた禰豆子チョコバーが勢いよく飛んで行ったのです。
マンガの世界のように高く舞い上がり、2m程先の道路に落ちました。
その瞬間、近くを歩いていた2人の女性が吸い込まれるように
禰豆子チョコバーに向かって手を伸ばしたのです。
一切の迷いのない初動で、とにかく素早い。
私がベビーカーを止めて動きだそうとした時には既に女性の手の中に。
その後、起き上がった子どもに手渡してくださいました。
「ありがとうございます。」とお礼を伝えました。
<親切な人たちだったな>と感じたのですが、
その時思い出した苦い記憶がありました。
それは10年ほど前の出来事
私が独身で会社員だった冬の寒い朝。
いつものように出勤をしている時に事件は起こりました。
勤めていた会社は、敷地の前に川が流れており、
階段状の橋を渡って出社していました。
その時、頭の中は先日見に行った映画「アバター」の事で
いっぱいになっていました。
そして、橋の頂上付近で急に体が宙に浮いたのです。
<飛べた>と思って景色がスローモーションに見えたのですが、
次の瞬間、体は階段に打ち付けられていました。
<何が起こったのだ>と思ったのですが、
どうやら穿いていたいたワイドパンツの裾にヒールがひっかかり、
バランスを崩して転倒したのでした。
下り階段に顔をうずめたまま、たくさんの足が通り過ぎていくのが見える。
<あれ、私転んでいるのですが>
そう思っても誰一人こちらを気にかけず足早に過ぎていきます。
ごそごそと起き上がり体勢を整える。
その間どれだけの人が通り過ぎただろう。
もちろん2,000人以上が勤めていて、知らない人がほとんどだけど、
誰にも気にとめられないことが痛い。
そして足元を見ると、右足のパンプスが見当たらない。
<おかしい。どこにいったのだろう>と思って探す。
探してもどこにもない。
次の瞬間、視界の端にありえない映像が見えた。
<川に浮いている一足の靴>
私の右パンプスが川に浮いているのだ。
プカ~ンと川面を漂っているのだが、ちょうど陸と陸の中間にあり、
どう頑張っても届きそうもない。
そして、ゆっくりと流されておりすぐに沈んでしまうだろう。
片足ストッキングの足のまま、頭の名では「どうしよう」と
「もうどうすることもできない」でごちゃごちゃになっていた。
真冬の季節でストッキングの足は冷たいはずだが、感覚があまりない。
呆然と立っていた私に、ようやく一人声をかけてくれた女性が。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。ただ靴が流されてしまって」と私。
「部署の方に電話して連絡しましょうか」と言ってくれるけれど、
先月部署異動になったばかりで、迷惑をかけたくないという気持ちが強い。
<このまま家に帰ってしまおうか>と思ったが、
会社にはに室内履きを置いているのを思い出した。
片足裸足で家まで帰るより、このままデスクまで行って、
室内履きを履いて帰った方がいいなと思いなおす。
5センチ程のヒールと素足の段差で、
ひょこひょこしながら歩きだしました。
アスファルトはざらざらと硬く、
時に小石が当たるが、それよりも人の視線が気になる。
この建物に片足素足で出社する人はこれまでも、
これからも私だけだろうと思う。
親切なその女性と話をしながら、会社の門をくぐり、
部署まで到着することができたのでした。
思い出話が長くなってしまいましたが、感じたことは
階段から転倒し靴まで流された私に手を差し伸べてくれたのは1人。
その間に通り過ぎて行った人たちは90人を超えるだろう。
もちろん、1人だけでも非常にありがたいのですが。
1%の確率。
一方、我が子を手を差し伸べてくれたのは、その場にいた2人。
100%の人が迷いなく近寄ってきてくれた。
何が違うのだろう
今回は、「小さい子ども」だったからというのも大きな理由と思います。
ただ、手を差し伸べたくなる人っていますし、
反対に、そうは思わない人もいます。
声をかけやすい人もいれば、そうではない人もいる。
この状況を創っているのは結局「自分」なのだから、
どんな「自分」だったからこの現実になっているのか。
その視点を持つことは大切だなと感じています。
その時の私は恥ずかしくて見られたくないと思っていたのかも。
その時の私は声をかけてほしくないように見えたのかも。
その時の私は一人でどうにかできると見えたのかも。
自分はどうしてほしいのか。
相手からどう見えているのか。
相手にどうしたら伝わるのか。
昔の出来事を振り返りながら、そんな事を考えたりしていました。
お読み下さりありがとうございました。
これからも、マイペースにこれまでの育児を振り返ったり、
日々の育児のことを綴っていきたいと思います。
また、お付き合いいただけるとうれしいです。