『破船』に見る村の民俗と作者・吉村昭について さやのもゆ
『破船』吉村昭/著(筑摩書房、1982)
本書は、あらすじ等の先入観が無い状態で読み始めた。これが幸いして、物語の世界観とその展開に強く引き込まれていったのを記憶している。まるで、文章を追いかけるように、一気に読み終えた感があった。
もっとも、これは同作の他著にも言える事だが、吉村文学は、一旦紐解いたら最後まで、読者を捕らえて離さない。その牽引力は一体処からくるのだろうか?
作者・吉村昭は、日本の歴史上のさまざまな人物または事物に焦点を当て、重厚な記録文学作品に結晶した数々の著作で知られている。徹底した現地(人)取材や豊富な資料をベースに、俯瞰した視野を以て構成された文章には定評がある。事実や史実、あるいは人々の“生の言葉”に裏打ちされたリアリティが、動かぬ真実を読者に突きつけてくるのだ。が、それだけではない。
読者としては、他ならぬ作者自身の人生が、過酷な局面において“死”に対峙してきた事を、踏まえておくべきであろう。
死生観の深みはそのまま、小説世界のそれとなって、未だ死を知らぬ読者を誘うのだ。
『破船』は、ある島の隔絶した僻村が舞台となっており、その冒頭は主人公・伊作が山の迫る浜辺で、葬式の火葬に使う材を拾う場面にはじまる。
人としての生活や物事の根底にある、肉体と霊魂の尊厳。そして、生と死の循環―。伊作の人物像は、作者自身の投影ではないだろうか。なぜなら、作中にはあたかも、吉村昭の魂が伊作を通して語っているような描写が存在するからだ。
ーかれは、時折り自分の死を思うことがあった。体が焼かれ、骨が土中に埋められる。
霊は、火葬されると同時に村をはなれ、沖へと向かう。それは、おそらく長い旅で、遠くへだたった海の彼方の村の死者たちの霊が寄り集まっている場所にたどり着く。深い海底に霊たちの集落が営まれ、すべてが明るく透き通っているー(本文121~122頁)。
村には“霊(たま)帰り”の信仰があって、人の霊は死と同時に海の彼方に去るが、時を得て村に霊帰りし、女の胎内に宿って嬰児(えいじ)としてよみがえる(同7頁)、と言うのである。
したがって死は、霊帰りまでの深い休息期間であり、村人たちが長時間悲しむことは死者の安息をかき乱すものとされている。
伊作は、死後の世界を“過去に身を置いていた場所の記憶”としてとらえており、安住の地であると信じているのだ。
ただし、こうした生と死の循環は、彼にとって生活の全てである村の中でのみ、繰り返されるものであり、村を離れては成り立たないものであった。もし魂が行き場を失ったら、生まれくる命に宿って甦る(よみがえる)事も叶わないのだ。
こうした土着の信仰は、周辺の隣村との交流が地形的に隔絶した村であればこそ、連綿と受け継がれて来たのであろう。村おさ(長)のもとに人々が結集し、長じては「お船様」の秘密をも、村の存続と共に守られてきたと言える。
その年の漁獲量が村人の生活や、はては人生までも大きく左右するほど、厳しい自然環境におかれた地域だけに、「お船様」の到来と恵みを願う気持ちは切実である。生きていく事はもちろんだが、死後の思想と来世の幸福を願う気持ちにも、ひとかたならぬ物があったのだろう。
現代に生きる者にしてみれば、積み荷船の座礁を誘って難破させ、物資を略奪するなどという行為を、ひとつの村で組織的な慣習として秘密裡に続けてきた、などとは信じ難い。
もっとも、日本の各地では本書に記述されているような寄船(よりふね=遭難した船またはその積み荷)によってもたらされる物資の恵みを祈る行事や、恣意的に起きた難破に関する記録が残っている。
吉村は、こうした江戸時代前期における記録に、更なる工夫を凝らしたと言う。同じく、当時の記録に残る他の史実も併せ、構成したのだと。
「疱瘡(ほうそう=天然痘のこと)にかかった者達を、その地に疱瘡が蔓延するのを恐れて、船に乗せ沖へ突き放す。その船が村の前面の岩礁のひろがる海で座礁し、患者の衣類をうばった村人の間に疱瘡がひろがる」という筋を考えたのだ(『回り灯籠』同著/172頁より)。
秋の深まりから始まる、この物語。
峯の頂きが紅葉に染まる頃になると、お船様の恵みが期待できる、荒れた海になる。紅葉が裏山に下りてくれば尾花蛸(タコ)の漁が終わり、「お船様」の神事を行う。身籠った女性が海に注連縄(しめなわ)を捧げ、箱膳を覆して船の顛覆(てんぷく)を願うのだ。そして冬季に入ると、村人が浜辺に夜を徹しての、(船を誘う)塩焼きが早春まで続けられる。
三月に入ると、その年の豊漁を祈る行事があり、イワシ漁に始まってイカ、サンマ漁とつづいて行く。
夏の盂蘭盆(うらぼん)には、海の彼方に去った死人の霊を迎え入れる。浜に松明(たいまつ)の火が灯り、家々の戸口には苧殻(おがら)が焚かれる。死者が足を洗って家に入るとされるので、土間には清水を張った盥(たらい)を用意しておく。
そんな風に、同じことの繰り返しで時がゆく村の中に、大きな変化をもたらすのが「お船様」であった。一度はお船様の恵みに潤った村だが、後に現れた難破船によって、恐怖のどん底に突き落とされるのだ。
伝染病の恐ろしさと、大切な人を失った悲しみは、現代の新型コロナウイルス感染拡大ーパンデミック―にも通じている。
本書の初版は1982年。こうして今、読んでみると、あらためて過去の歴史上の史実や事実を学ぶ事の大切さを痛感した次第だ。
人として生きていくための、生命力や生き甲斐は、日々の何気ない日常が維持されてこそ、芽生えるものである事を、ともすれば忘れがちになる。
働き者の伊作は、家族のために自分を犠牲にするかのような生活ぶりであったが、自分ひとりが残ったことで放心状態になってしまう。
しばらくは漁に出ることもままならず、春先になってようやく舟を出せるまでになった。 そこへ、年季奉公で村を出ていた父親が、峠を下って帰ってくる。
伊作は、このまま舟で遠くへ去りたいと思いつつも、その心とは裏腹に、舳先を浜に向けて漕ぎ出したのだった。
海の沖は、死者の往くところである。生まれくる命に魂と宿るまで、復路を戻ることはできない。
生命力の漲(みなぎ)った彼の魂が、彼の肉体を以て、彼を動かしたのだと言えるだろう。
ーおわりにー
『破船』は、記録文学作品であると同時に、民俗学の教科書を思わせるものでもあった。執筆にあたっての資料も、膨大な量に上るであろうことは想像に難くない。
また、吉村は取材の際に話を引き出すのが上手かったとも言われる。
このように、事前調査を十分に行った上で執筆に入ることを信条としていた彼は、これを未完の作品に終わらせたくないとも願っていた。
「私は、その小説を書いている間、それこそ何度も、書き終えるまでは死にたくない、と思った。それだけに、最後の一文字を書き終えた時には深い安堵をおぼえた。
小説家が死ぬと、ぽつんと未完の作品がひとつ残る。作者は当然、完結を夢見て筆を進めるが、死とともに断たれ、それは永遠に未完のままに残される。
私も、それを避けようとして、何度も死にたくないと思いながら筆を進めたのだ。」
(『回り灯籠』同著、17頁より)
戦前に生まれ、戦時下の東京に暮らした吉村は、自身の過酷な闘病生活や、戦争の惨状を目の当たりにしている。
過渡期の時代、国も人も激変していく中を生き抜いてきた吉村昭。その、何もかも見てきたという極限の視座が、彼の記録文学の源になっているのではないか。
生にあって、死の淵を見る。
死はー隣り合っているもので、殊更に怖れるものではないと、静かに告げているようだ。 引用文献:『破船』(筑摩書房)『回り灯籠』(ちくま文庫)吉村昭/著