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悲しい出来事と「自分の心」

とてもリアルタイムなお話なのですが、

今日ハンドメイドのお取引先から
「来週のイベントを中止にさせて欲しい」
という旨の連絡が入りました。

理由や状況の説明もしっかりとして下さり
これまでも大変お世話になっていた先方なので

これは致し方のない判断なのだと理解し
承諾させて頂きました。

しかし ハンドメイド作家側としては、
販売イベントに参加する事は一種の文化祭の様な感覚で、この日に合わせて沢山の準備を積み重ねて来ている状況なのです。

今回も、秋の新作をこのイベントに間に合う様に色々なことを切り詰めて準備を進めている矢先の出来事でした。


なんと言うか… 外から見れば「イベントが1つ無くなった」だけなのですが、当事者としては想像以上に残念で悲しい気持ちになるものなんですよね。

そう考えると、この感染症拡大の影響で多くのイベント事が中止になり、その度に多くの方がこんな「外から見えている以上の悲しみ」を抱える経験をしているのではないか…と胸が苦しくなりました。

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ですが、その悲しい苦しい残念な出来事は どんなに状況を哀れんだって変わりませんよね。

「事実」としてそれはもう起きてしまっている。

ならば、私たちが向き合うべきなのは「その出来事が残した悲しみや苦しみ」ではなく「その出来事を踏まえたこれからの行動」なのです。


1つのイベントが無くなり、必死に準備していたものがその瞬間取り残された状態になる…

「もう水の泡だ」

果たして本当にそうでしょうか?
「その出来事を踏まえたこれからの行動」を出来ないでしょうか?


わたしはイベントが中止になると分かった瞬間に深い悲しみに襲われ、その後瞬時に「ならばその日に自分でネット販売をしよう!そしてライブ配信で皆さんとコミュニケーションを取りながら商品を見てもらおう!」という「これからの行動」を見つける事が出来ました。


もちろん「悲しい残念な出来事」があったことは変わりなくて、それを悲しむ時間は大切なものだと思います。

けれど、いつまでもそこに心を置いておくのではなく「それを踏まえてこれから何が出来るのか?」を考える力こそが「自分を幸せにする為に欠かせない力」だと思うのです。


日常のどんな嫌な出来事も
「むしろこれがあって良かったかもね」
なんて言えるような力

それはいつも自分の心次第で、その瞬間に取る行動で変わるものなのだと改めて学んだ出来事でした。


sayamo

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【関連note】


最後まで読んでくださりありがとうございます!