見出し画像

2022年の振り返り-Other Rooms

今年は、それなりの、ほどほどの距離でアートに向き合い、家族のさまざまな問題に直面しひとつずつこなしていくような日々だった。流れと縁が確実にあって、ただただ立っているという感じ。立っていて、時間が過ぎ去っていく。一つ一つのことを思い起こすと長かったのだが、あっという間でもあった。

縁があってやってきたことに応えるという感じ。たまに、こんなこといいなぁと思うできごとがあったり、素敵な人だなぁという人に会ったり、心躍るようなことはアートに隣接していることも多かった。もちろん子どもとの時間はおもしろいことが多くて、子どもとともに自分の過去に向き合う時間も充実していた。

6月は忙しくなる前だったのかも。毎日のように展示会場に向かい、濃密なコミュニケーションが楽しかった。久しぶりに全員本音で語ったし。楽しいことは作らないといけないんだったという初心。

そもそもが捻くれたアイディアだったのだが、アートは開いているようで閉じている。exclusiveでそれを排他的と訳すのが妥当かはわからないが、それで成り立っている部分で発展してきたと思う。公平中立なものではない。展示に必ず行きますねと言いながら行けないのだったら半分強制的に予約制にしてしまえ、ということ。コロナ禍で閉じなければいけなかった展覧会への懺悔となぜ閉じたのかという基準への皮肉もある。

閉じた展覧会を開くという孤独な部屋を開くアイディアは私の展示概念の根底にあるものだけどその実現のために都内のいろんなお屋敷や邸宅を巡ったのも良い思い出である。美術は美術のところにしかいられないというexclusiveを体感し、排除され、拒絶され圧迫面接のようなことをされたのももはや香ばしい体験をわざわざしに飛び込んだ感じすらある。ここで愚痴を書くのはやめておこう…。(そして場所探しは2021の出来事だった。)

展示は作家のものだし作品が素晴らし過ぎて、この現実のあわいをどうしてこのように醸成させることができるのかと唸った。普遍的な思い出やぼんやりしているが確実に存在しているような日々のことが反映されている。

美術の仕事は華やかっぽい感じもするけどそうじゃない積み重ねと、じっと、じっくり時間を蓄積されたその地層を見ましょうよという投げかけをしたつもりだし自分もその問いかけをされた立場でもあった。地層が幾重にも堆積しているからこそこの仕事は面白いのだけど、それをすっかり彼方に置いてきたり上澄みだけ拝借するようなことも多い。わたしもそういうことに加担している場合もあるわけだから自戒でもある。

2023年は新しいチャレンジを試してみようと思う。うまくいくかはわからないけれど!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?