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蚊を潰す 山田詠美『風葬の教室』

 山田詠美の小説に、『風葬の教室』という作品がある。小学生の少しませた女の子が、教室でいじめられ、自殺しようとまで思いつめてしまうお話だ。作品のなかで、理科の男性教師が授業中、蚊に刺されたときの話をしてくれる。私は夏になり蚊を見かけるようになると、いつもこの話を思い出すのだ。

 その男性教師の言うところには、蚊が腕に止まったら、すぐに叩き潰さずに、じーっと見ておく。蚊が血を吸ってその腹が膨れるさまを見つめ、しばらくすると、蚊が腕からよろよろと飛び立つ。そこで、ぱしん。殺してしまう。少し吸われようと全部吸われようと、痒いことには変わりないのだから、殺しやすい方を選ぶべきだ。

 ほう。はじめて読んだときは、とはいえ刺されるのはいやだよ、と思っていた気がする。それになんだか、そうやって戦略的に殺すのはちょっと違う、とも思っていた。殺すのが目的なのではなく、そもそも刺されないことが目的だったから。しかし、彼は「蚊を殺すのが楽しくてしょうがない」らしい。静かに血を吸わせて、相手が油断しきっているところを叩き殺してしまうのが、とっても愉快だと。へえ。

 主人公の女の子は、この話に感銘を受け、いじめっこたちにやり返すことを学んだ。蚊と同じように、自分に悪口を言い放って得意げになっているやつに、一枚上手の悪口を言い返すのだ。

 もともと主人公には、この話から発想を受ける素地があった。主人公の姉が母とののんきな会話のなかでこう告げたのを、盗み聞きしていたのだ。いわく、わたしもよくいじめられたけど、そんなときはひとりづついじめっこを殺していった。もちろん本当に殺しゃしない、心の中でだけ。でも全員殺し終わるころには、わたしはクラスの人気者になっていた。と。

 夏を何回も迎えていると、そもそも蚊の対策というのはキリがないものだとわかってきた。蚊取り線香は家族がにおいに敏感だからいけないし、プラグ式の虫よけもたまに効かないときがある。毎日毎日、部屋のなかでも虫よけスプレーをつけるわけにもいかない。だんだん諦めることを覚えた私は、今夏はじめて、この方法を試してみた。

 別に気持ちの用意をしていたわけではない。ただ、例年どおりこの小説の話を思い出し、あったなあと本棚から出して眺め、そのまま放っておいた時期に、蚊が止まってきたというだけだった。思えば、散々な刺され方をした年もあれば、掻き壊して自ら傷痕をつくってしまった年もあり、私の虫刺され経験値は大幅に上がっていたといえる。最初はいつもどおり抵抗したものの、ふと思い出してじっと蚊が血を吸うのを見守ってみた。

 まずは、ふわりと感触がするところから始まる。一度は叩き殺そうとしたので、蚊のゆくえがわからなくなっていた私は、その感触で蚊が戻ってきたことがわかった。よく見える、右腕上腕部である。きたきた、と思いながら見つめる。蚊のお腹は細くて、ぺらぺらと言ってもいいほどだ。はじめは蚊の脚の感触がしたが、あとは一切しない。

 次に、一瞬の痒み。これは蚊が針を刺した感触だろう。蚊の口から、刺した針を、透明なしずくが伝うのが見えた。おそらく血が固まらないようにするための唾液だろうか。そこからは、ただひたすら吸っている。蚊は風の流れを察知して逃げるというが、じっとしていると本当にあちらもじっとしている。こちらの拍動と、上下する蚊のからだ。

 そうしてお腹が膨れるまで、一分半ほどはかかったんじゃないだろうか。見ていると長く、普段血を吸われているときも気づかずにこれくらいじっとしているのか……と思う。どうやら、最後に向かうにつれて、針の刺さり加減が深くなっていくようだ。最初より蚊の口が皮膚に近づいているように見えた。そして、最初にくらべると3~4倍ほどに丸くなり、少し赤みがかったようにも見えるお腹、そのおしりから、最初針を刺されたときに注入されたのと同じような、透明なしずくが見えた。あれ、おしりから何か出すことなんてあったっけ、と少し面食らっていると、蚊はさっと飛び立ち、それにまた面食らった。

 予想外の逃げ足の速さにあわあわとしてしまったが、なんのことはない、蚊は目の前の机の上に移動しただけだった。白い机なので姿がよく目立つ。たぶん、血でお腹が重いから、安全な足場に移動して、少し休んでから飛び立つようだった。

 かの男性教師が言うとおり、血を吸ったあとの蚊はずいぶん動きが鈍くて、普段やっきになって叩き潰そうとしているときより数倍遅く感じる。私が机上のティッシュペーパーを抜き取って蚊を捕まえるのはかんたんだった。捕まえたときは、脚か羽がつかいものにならなくなったのか、ティッシュペーパーに動かなくなった蚊がのっていただけだったので、上から潰してみる。真っ赤な染みができた。あ、いま潰したんだな、と思うと同時に、これが私の血なんだ、と思った。なかなかこんな真っ赤な血を見ることはない。そして、こんなに明確な意志を持って蚊を潰すこともない。

 いつものように、すぐにティッシュペーパーは丸めて捨ててしまった。捨ててすぐは、あの話は本当だったんだなあ、ああいうのってやっぱりいちいち観察して書くんだろうか、どうやって思いつくんだろう、なんて感心していた。蚊に刺された痕はあたためておくと腫れないという話も知っていたから、とりあえず自分の手のひらで押さえておいた。

 しかし、時間を追うにつれて気になったのは、あの染みの小ささだ。あの小ささはなんだろう。こちらがじっと待って、1分半かかって、それであのお腹に収まるくらいの、たった数滴。ちょっと指にけがをしたときにティッシュペーパーで押さえたら、あのくらいになるだろう。人間が病院で採る採血なら、もっと短い時間でもっと採れる。まあいろいろな差があるので単純に比較できるものではないが、なんだか、へえ、と思ってしまう。あの小ささが当たり前である世界。

 もともとなぜこの方法を試してみようと思ったかというと、読後、何年経っても、主人公やその姉の超えたものがなんなのか、わからなかったからだろう。それはずっと「わからないもの」だったし、「わかりたいもの」だった。子供の時から、そういう不調和に真面目に悩んでしまうたちだから。でも、それで仲良くなるってどういう世界なんだろう。

 もしかしたら、私が持った感慨は、「やり返したっていやな気持になるだけで、すっきりなんてしないよ」という単純な教訓に集約されるのかもしれない。とはいえ、別にこのあとも、私は今までどおり虫刺されを憎らしく思うだろうし、蚊を殺し続けるだろう。人に言い返すことだって何度もあるだろう。ただ、そうやって相手の小ささを知ってなお、対等にばかにしあって仲良くなる世界が、ずっと見えないなあと思うだけなのだ。相手の小ささを知ることは、もちろん優越感を得るもとになる。しかし少し時間が経てば、その優越感は、残酷さと少しの罪悪感に変わる。その微妙な気まずさを、主人公たちはどう乗り越えたんだろう。

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