「べき」をほどほどに
記事に「スキ」を付けてくださった方の記事を、読みに行っていた。読んだら、お知らせのベルをクリックして、数字を消していた。そう、過去形だ。主に体調不良で記事を読みに行くことができなくなり、しかし読みに行こうという意志は残っており、現時点で未読のお知らせの数が192も付いている。
この「スキ」を付けてくださった方の記事を読みに行くのは、ただ単に、どんな方が「スキ」を付けてくださったのか興味があるだけであり、決して、しなければならないことではない。それなのに、どこかで義務化してしまっている自分がいる。
「やりたいこと」が「やるべきこと」になってしまうと、楽しさが激減する。そして「趣味」が「作業」になってしまう。同じことをしていても、作業だと感じられると味気ないものである。
どんな方が私の記事に興味を持ってくださり、その方はどんな記事を書いているのか。わくわくしながらnoteを閲覧したい。そのためにも「やるべき」思考を私は手放したほうがいいと思う。
ここで、「手放すべき」と書きそうになった。危ない。その「べき」がさまざまな苦しみを生み出している。「べき」をほどほどに。「できたらいいな」くらいの気持ちでいたい。「できたらいいな」が「やりたいな」になり「やろう」になる。その自然な感情の動きを大事にしたい。
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