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忘れっぽさの効用

今日はnoteにこういうことを書こうかなと思いながら仕事をしていたのですが。忘れましたね。すっかり。

という書き出しは二度目になります。一度目はその後、メモの大事さについて語りました。

今回は逆に、忘れっぽさの大事さについて語りたいと思います。早速、結論から。「適度に忘れていかないと生きていけない」と思うのです。

一番の理由は「つらい出来事をいつまでも覚えていては、生きる気力が持てなくなってしまうため」です。つらい記憶は、思い出すだけで精神力がガリガリ削られてしまいます。そして、また同じようなつらい出来事が起きてはほしくないと再確認して、どうせまたああなってしまうのではと、何事にも消極的になってしまったりもします。つらいことの再来を恐れて、挑戦ができなくなってしまいます。

普通に生活しているだけでも、真面目に生きているつもりでも、理不尽につらいことは起こります。それをずっと覚えていて、さらには自分のせいでもあるかのように思ってしまうのは、人生におけるとてつもない損失です。

つらいことほど、起こった時の衝撃も大きかったのですから、長い間覚えていてしまうものです。ですが、気を長く持っていれば、徐々にですが薄れてはいくこともあります。自分から手放す努力も多少は必要ですが。

二番目の理由としては「記憶の容量に限りがある気がするので、大事な情報を入れられるように少し空けておくため」です。この辺、脳の機能の話になってくるので、素人が感覚で間違ったことを言っていたら申し訳ありません。ただ、なんでもどれだけでも覚え続けられ、かつ、それをずっと残しておけるということは、ないように思うのです。

大事な情報というのは、その時々で変わります。だから、いつでもちょっとだけ、何かが入る隙間を空けておいたほうがいいように思うのです。その調整は脳がやってくれていると思うのですね。だから、昔の出来事など、今は使わない情報は、いつのまにか消えている(ように思えるだけで残ってはいるのかもしれませんが)のですね。

そんなわけで、消えてしまったネタにしようと思っていたことは、忘れっぽさが消してくれたくらいには、大事な情報ではなかった、と思うことにします。


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大場さやか
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