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記憶のひきだしが急に開く

急に「あ」と思い出して、たまたま開いていたXにポストした。

あ「了見が狭い」だ。昔、人に言われたのだけど、なんて単語だったかきちんと思い出せないでいた。「了見」ね。それは思い出せないでいたけれど、ニュアンスとしてはずっと覚えているのだから、図星なわけです。

X

この言われたことをもう少し正確に書くなら「意外と了見が狭いんだ」である。つまりは、少し知ってみたら、思っていたより了見の狭い人だったので、発言主はがっかりしたのだ。

そして言われた方としては、それはやはり落ち込んだのである。簡単に言うならば「いい人だと思ってたのに実はそうでもないね」と思われたわけである。できるならば、ずっといい人だと思われていたい。

この言葉はかなり昔に言われたもので、しかもその言葉で喧嘩になったとか、そういった事件が起きたわけではない。なのに、何年も経った今になって、突然思い出されたのである。何か似たような出来事、例えば私が悪く言われたりなどしたために、関連して思い出したわけでもない。本当に、ふいに出てきたのだ。

私の記憶力は悪い。最近、輪をかけてよくない。あまり会わない人の名前をすぐに忘れるのはもちろん、よく会う人の名前が飛んでしまうこともある。自分でもそれはどうかと思う。真面目に危惧している。

しかし、記憶を制御することは困難である。覚えることも簡単ではないし、思い出すことも簡単ではない。なのにどうでもいいことを覚えてしまったり、思い出したりする。しかもそれ今、必要か?というタイミングで出てきたりする。

記憶のひきだしの、新しいうちはまだ開け閉めも自由にできるのかもしれない。しかし、それなりの年数使ってきたひきだしは、開けたい時にスムーズに引き出せない。なのに、風が吹いた程度でがたりと開いたりもする。開いた下の段を閉めるためによいしょと押し込んだら、上の段が勢いよく飛び出して怪我をすることもある。さんざんである。

しかし、経年によるこれらの動きを「劣化」と言わずに「変化」と言い、急な思い出しを楽しむ方向でいきたい。

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大場さやか
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