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被災地でいま伝えるべきことは何でしょう

 「伝えるべきことは何なんでしょう」とはなんともゆるいタイトルをつけましたが、この釜石に住んで3年4ヶ月、すなわち新聞記者を辞めて3年4ヶ月(原稿を書く仕事は今もしていますが)、「いま何を伝えるべきか!」と大上段に振りかぶった問題設定をできるほどのジャーナリストと自負できる状態でもなく、一方で、3月が近づいてくると、取材を受けたり、逆に出版社などから依頼を受けて寄稿することが増えてきて、「いったい何を伝えるべきなんでしょうねえ……わたしは」と考え込むことが増えてきます。

 ちなみに冒頭の写真は昨年秋に撮った大槌町。中央あたりに写っているのが、町長はじめ多くの職員が犠牲になった旧役場庁舎です。再び取り壊しに向けた動きもあると聞いています。その手前側の工事現場は今はもう完成間近の公共施設が建っています。

 この写真を見て、みなさんはどう感じるでしょうか?
地元の方、今も被災地域に足を運んでいる方、メディア関係者など復興に関心を持ってニュースをチェックしている人たちは、すでに報じられているとおり「盛り土をして造成してもやっぱり空き地が多いんだなあ」と思うでしょう。
(注:秋の写真なので今はもう少し、完成した住宅が増えています)
 復興支援の仕事をしている私のまわり(SNSも含め)にはそういう方が多いので、この写真を見てだいたい同じような感想を持つことでしょう。

 しかし、もし新橋(渋谷でも梅田でもいいですが)でこの写真を見せて「これが今の大槌町です。どう思いますか」と聞いたら、多くの人は「復興が進んでるんですね」とか逆に「あれ、まだ復興って終わっていないんですか」とか、そういった感想を持つのではないかと思います。

 全国に発信するメディアとして伝えるべきことといえば、やっぱりそういった風化のことであったり、盛り土をしてもその区域に戻らない世帯が多いという現状だったり、被災した役場庁舎のことだったり、なんだろうと思います。一方で、私は今現在、全国に発信するメディアという立ち位置ではなくて、釜石に暮らしている人間として、7年がたとうとする今、伝えるべきことがあるのではないかな、そういう立場だからこそ書けることがあるんじゃないかな、と自分に暗示をかけているこのごろです。

 リスト にもありますが、2015年以来毎年、この時期に雑誌に5000字ほどの原稿を書いています。2015年は「『復興感』を持てる人、持てない人の格差が広がっている」という記事、2017年は「ハード整備は進んできたけれど、依然として心の復興はまだまだ」という記事です。共通するのは、「取り残される」と感じている人たちがいて、その人たちがどうしたら自分たちも「復興した」と実感できるのか、というのがテーマでした。

 仮設住宅に暮らす世帯はどんどん減ってきて(去年の原稿の時点でもだいぶ減っていた)、さらに残っている世帯の中でも、予定地の造成を待っているという方々もいれば、「この先どうするかまだ決まっていない」という方々もいます。つまり2015年からみえていた課題は進行しさらに顕在化しています。例外もあると思いますが、大きくは高齢化、そして貧困(相対的貧困)という日本の社会問題とも無関係ではありません。(仕事柄、確信するに至る明確な根拠は書けませんが、根拠としている事例がいくつかはあります)

 話は1周回って、「何を書くべきか」問題。復興支援に当たっている今の私の立場では書けないこともたくさんあります。それは行政批判になるから、とかそういったことではなく、自分が書くことで傷つく人の顔が浮かぶからです。さらに守秘義務という明確な問題もあります。

 釜石に住みながら(とくに釜石出身で)報道している諸先輩方には本当に頭が下がります。今年は、復興の課題をあぶりだすのは報道関係のみなさんにおまかせして、地元でがんばっている方々が少しでも勇気付けられるような文章を書きたいと思います。

 この文章を書いたのは、震災報道が増えてくる前の時期に、自分自身が感じていること、考えていることを備忘録として残しておきたいと思ったからです。これを読んで「今の釜石ってどうなってるの」と思った方、ぜひ自分で感じてください。

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