メディアと林業のコスト感覚
前にもどこかで書きましたが、「マスメディア業界の人間のコスト感覚」と「林業界のコスト感覚」を比べて、どちらが厳しいコスト感覚で仕事をしていると思われるでしょうか。(もちろん、マスメディア、林業界をそれぞれひとくくりにはできませんが、自分の経験をふまえて、そのように書きます)
実は、この前雑誌に書いた原稿 http://www.newleader-magazine.com/back_number/?id=1453442407-722774 でも触れましたが、わたしが釜石地方森林組合で仕事をするようになって一番最初に驚いたのは、職員の若さ(21人中、20代が8人)と、コスト感覚の厳しさでした。
1人が1日に作業できる量(伐採できる木の量)、10トンの車が帰りにカラで帰ってきた場合の無駄、作業道(高性能林業機械が山林に入っていくための道)を1メートル掘削するのにいくらかかるのか……、そういったデータがすべてそろっていて、組合のリーダーはすぐに答えられます。
翻って、多くの新聞記者は、自分の記事1本にどのくらいのコスト(時間、経費、労力)がかかっているのか、ほとんど考えたことがないのではないでしょうか。私自身はなかったです。
ただ、それが悪いとばかりは言えないのは、地道に時間をかけて取材を続けた調査報道が世の中や法律を変えることもあり、「取材のコスト」と「報道の役割」を考えると、とても難しい部分もあります。一方で、驚愕したのは、わたしが労働組合で経営陣との団体交渉に出ていた時に、「30年くらい前はハイヤーつなぎっぱなしで夜中まで飲んだもんだ」という昔語りに陶酔する役員がいたことです。
脱線しましたが、コストを鑑みずに取材するからこそ書ける記事もあり、なので言いたいことは、取材のコストを削減すべし、ということではありません。会社が出してくれる取材のコストはいったんおいておくとして、取材に協力してくれる人のコスト(時間と手間)を考える想像力を持ちましょう、ということです。
釜石に友人の記者などが来た時に「いやー、取材が盛り上がって4時間も話し込んじゃったよ」という話を聞くことがあり、複雑な気持ちになります。私自身も、とくに地方にいる時は、2時間3時間の取材(インタビュー)というのはけっこう頻繁にありました。ご存じかもしれませんが、こういった場合、取材謝礼というのは発生しないことがほとんどです。
本当に取材で相手方と意気投合するということもあるし、またご高齢の方ですと時間に余裕があってかこっちが「そろそろ失礼します」と3回くらい言っても「まんず、漬け物でも」と次から次へと色々出してくれて帰れない、という事態もあります。こうなるともはや、こちらが傾聴ボランティアです。なので、文字通り、ケースバイケースなのですが、多くの社会人は忙しく、報道の対応以外にもやることがたくさんあります。
……なのに、にもかかわらず、要領を得ない取材に付き合ったのに、なのに、「いったいあの取材はどうなったんだーーー!」という事態が、ままあります。今年もありました。
わたしは仕事柄、というか前の仕事柄、親しい記者やそのつてで、「取材じゃなくて申し訳ないんですけど、ちょっと話を聞かせてください」と頼まれて話をすることもけっこうあり、それはそれでこちらとしても現在のM日新聞事情について情報が入ったりするのでよいのですが、森林組合だったり、自分が紹介した人が取材された場合だったりするとまた事情は別です。
けっきょく、先月の記事 https://note.mu/sayakatezuka/n/n3be53da7d2f1 (友人からのアドバイスをもとに公開1か月後からは有料にしてみました)と重複してきましたが、自分の取材コストはいいとして、協力してくれる人のコストをもう少し考えないと、メディアはそっぽを向かれるのではないかと心配しています。
正直に言うと、中道左派のわたし自身は、森組に来て頻繁に耳にする「コスト」「業務効率化」という響きに、当初はあまり良い印象を持っていませんでした。でも、コストを圧縮し効率化することで、組合員(山主さん)に返せるお金が増えるというはっきりした目標があるからこそ、職員もそれを目標にがんばっています。
わたし自身もフリーランスで原稿を書くようになって、交通費も含めた支払いの場合は、15分しか変わらないなら高速を使わないとか(貧乏くさいですが)、だらだら原稿を書かない、とか、前職の時よりも「効率」を考えるようにはなりました。
企業ジャーナリストの場合も、一度「自分のこの原稿にどれだけのコストがかかっているのか。もし先方に謝礼を払うとしたらいくらが妥当なのか」という視点を持ってみると、自分にとっても取材先にとってもお互いにとっていい取材ができるかもしれません。