見出し画像

"古津軽本"取材ノートから2 ~弘前ねぷたを観るならココで

東北はいよいよ夏まつりweek!
今週は、盛岡さんさ踊り(岩手)、竿燈まつり(秋田)、ねぶたやねぷた(青森)など盛りだくさんだ。
昨年、「古津軽」の本を作るというお仕事で取材を口実に、生まれて初めてねぷたを観た。

「ねぶた」と「ねぷた」

おそらく、多くの日本人の認知として、「青森市はねぶた。弘前市はねぷた」というイメージがあると思う。東北に十数年住んでいる私もその2つ +  五所川原の立佞武多(たちねぷた)を知っている程度だった。
しかし、実際には岩木山を望む津軽平野のそれぞれの市町村にねぷたがある。弘前だけの祭りではない。そもそも「ねぷた」と「ねぶた」はルーツが同じ。仙台七夕で有名な「七夕」の行事のひとつだ。

眠りを流すのになぜねぷた?

7月7日に川に灯籠を浮かべて流す七夕は、習俗のカテゴリーとしては「眠り流し」という行事。眠り流しというのは夏の眠気を灯籠に載せて流す意味だという。「眠り流し」が「ねむた」になり、なまった末に「ねぷた」とか「ねぶた」になったのだとか。
私の推察では、眠気だけでなく、盛夏の頃だから熱中症や睡眠不足、その他の病や不定愁訴といった心身の不調全般を「穢れ」として流すのが目的だったのではないかと思う。
西洋の中世ではてんかんや精神疾患などの患者を悪魔が憑いたとして悪魔祓いをしたという記録が残っているらしいが、それに近い趣旨で日本では心身の不調を川に流したのではないだろうか。
それにしても、そんなどんよりとした不調すなわち穢れをあの極彩色の武者絵で表すというのが、何ともアバンギャルドな津軽ならではだと思う。
東北の人なら共感してもらえると思うが、南部ではそんな表現はしないし、伊達でもしない。たぶん庄内でもしないだろう。
棟方志功を生み、太宰治を生んだ津軽は破天荒だ、良い意味で。宮沢賢治を生み、石川啄木を生んだ南部(岩手の北部、中部)はもっと思索的で生真面目な気がする。

……と書いてみたものの、翌々考えると賢治も啄木も結構アバンギャルなので一概には言えないかもしれない。
とはいえ、東北の各地を歩いてきた私から見ても、津軽という土地は、ねぷたの赤と豪胆な筆さばきに象徴されるようにダイナミックで破天荒なイメージがある。
その一方でこぎん刺しのような繊細な手仕事も息づいているというのが面白いところだ。

弘前ねぷたはここで観るべし!

私の津軽論はさておき、いよいよ本題。
去年、弘前のねぷたの撮影のために青森県庁の誇るスーパー県職員N女史や青森のカメラマンの知見を総動員して定めた撮影スポットをここでだけお伝えしたい。
弘前人にとっては驚くほどベタかもしれないが、まちなか情報センターのある交差点の石井果実店さん側の角。ここがやはりいちばんのポイントだ。
まちなか交流センターの前がかなり混んでいるが、土手町のまっすぐに伸びる道を遠くの方から近づいてくるねぷたの列を観るには、こっちの方が適しているのだ。
このポイントが混雑するのは、おそらく審査員席に近いということもある。初めてねぷたを見る人はまずこの辺りで遠くから近づいてくるねぷたを今か今かと待つドキドキ感を味わってほしい。
その上で2つ目は、「戻りねぷた」のルート上だ。ネプトバ驚くことに行きと帰りでお囃子が異なる。一般的には「やーれやーれ」という行きの囃子が有名だと思う。(「ラセラーラセラー」はねぷたではなく青森のねぶた)。しかし、公式な?行列を終えて、それぞれのねぷた小屋に戻る時にかかる「ねーぷたーのもーどりこー」という戻りねぷたの囃子もちょっとゆるい感じでこれがまた良い。

関係団体による情報発信も進んでいてリアルタイムで運行状況が分かる。(ねぷたに「運行」という業務連絡的な表現もまたよい)

私はできなかったけれど、8月の1週目に何泊かして、複数の市や町のねぷたをはしごするのもよいと思います!
ねぷたで、夏の疲れや穢れを一気に振り払ってさわやかな夏を過ごしたいですね!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?