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カーリーヘアーと、私。

「自分の髪の毛が大っ嫌い」

私は物心つく頃から、自分の容姿が大っ嫌いだった。その中でも一番コンプレックスに思っていて、今でも気に入らないのが自分の「髪の毛」だ。

最初に説明をすると、私の髪の毛は生まれつきかなりの癖毛である。よくあるうねっとした癖毛ではない、もはやアフロと呼んでもいいくらいの癖毛だ。いわゆる「カーリーヘアー」である。くしで髪の毛をとくと、顔周りの面積が全て埋まってしまうくらい広がる癖毛である。

私が2歳の時の写真

私はお父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人だ。そしてお父さんがかなりの癖毛だから、その遺伝子がきっと私に受け継がれたのだろう。

私はそんな自分の髪の毛が幼い頃から大嫌いだったし、今でも嫌いである。好きになったことは一度もない。ましてや、地毛が赤毛だから「赤毛✖️カーリーヘア」のダブルパンチで、幼稚園の頃はかなり浮いた。そして親曰く、幼稚園に入る前の幼少期もかなり髪の毛で目立っていて、私を乗せたベビーカーをおしているだけでよく声をかけられたという。そして予想もついただろう、私は髪の毛含み、容姿がマジョリティーの日本人とは違うし目立つから、いじめられたことも多々ある。ハーフでいることが理由でいじめられた自分自身の体験については別のnoteで詳細を書いたので、時間があったら是非読んでみてください。

「髪の毛が周りの皆んなと違う」「髪の毛をいじられる」「髪の毛の手入れがめんどくさい」「髪の毛を物珍しく見られる」etc.

いろんな理由で私は自分の髪の毛が嫌いだ。どうして妹や弟はサラサラの髪の毛なのに、私だけこんな思いをしなくちゃいけないの?なんで?なんで?
幼稚園からずっと、私の周りは黒髪のサラサラストレートの子が多かった。だから自分とその子達を比べては劣等感を感じていたりしたのを、覚えている。

髪の毛を下ろしていたのはきっと7歳くらいまで

小学校の時はいじめられるのが怖くて、癖毛の髪の毛をおろすことはできなかった。幼稚園の年長さんくらいから、私は髪の毛を一回もおろさずに学校に通ったと思う。小学校に入学してからは、ヘアスタイルはずっと三つ編みで、髪の毛をおろすことはなかった。いろんなヘアスタイルを楽しんでる子、何もしなくても髪の毛がストンッとまとまってる子、なんなら毎日髪の毛について悩まなくていい子…そんなストレートヘアの子が羨ましくて羨ましくて。「こんな髪の毛、神様の罰だ」とすら思っていた。「髪の毛おろしたいなら、おろせばいいじゃん!」そう思われるかもしれない。でもどうしてもそれが出来なかった。プライドが許さなかったし、怖かった。変な目で見られたくなかった。いじめられたくなかった。そしてその恐怖心は今でも自分に残っていて、なかなか消えない。

雛壇の前で

しかし、小学校を卒業すると同時に私はついに「縮毛矯正」を始めるようになった。

「もう髪の毛について悩まなくていい!」

私は縮毛矯正に感動した。あんなクルクルだった髪の毛が一気にストレートになったのだ。頭が一回り小さく見えたし、指の間を抜けるサラサラの髪の毛に、私は思わず「神様が味方してくれた」と感じた。初めての感覚だった。ストレートアイロンで髪の毛を一時的にまっすぐにするのとは違って、縮毛矯正をかければ髪の毛は半永久的にストレートになってくれる。だから汗をかいたり、水に濡れても髪の毛がクルクルに戻ることはない。もちろん新しく生えてきた髪の毛はクルクルだけど、少なくとも2-3ヶ月は一時的にストレートヘアーを楽しむことができる。そこで私は最大のコンプレックスであった、カーリーヘアーから少しだけ解放された気がした。

それ以来、私は縮毛矯正を辞めた日はなかった。小学校卒業時から、現在26歳まで、私は2-3ヶ月おきにずっと縮毛矯正をかけ続けている。だから最近出会った人に(私の幼少期を知らない人)「実はカーリヘアーなんだ」というと結構驚かれるし、幼少期の写真を見せると「信じられない」とも言われる。それくらい縮毛矯正を使って、私は自分のカーリーヘアーを封印している。もはや、自分自身のアイデンティティーとして、カーリーヘアーは存在していない。私は縮毛矯正さえあれば一生ストレートヘアーだし、カーリーヘアーという特徴を、自分の中から完全に消去したのである。

でも縮毛矯正って難しい。初めて縮毛矯正をかけたときは、どういう美容院がいいとかも知らなくて、縮毛矯正に特化していない美容院でかけた。本当は今のように最初から「縮毛矯正専門店」に行くべきだった。でも最初の方はそんなの知らなかったから、中学校や高校のうちは普通の美容院で縮毛矯正をかけていた。私の癖毛はかなり強いから、普通の薬は効かない。強い薬を使わなければストレートにならないから、髪の毛がビッシビシに傷んだ。今でも切れ毛は絶えないし、髪質はバービー人形そのもの。それに加えて、私の髪の毛は癖が強いうえに、髪の毛が細いからとっても痛みやすいのだ。本当に厄介な髪の毛。だから髪の毛はストレートにできても、そこにはリスクが伴ってくる。いいことが起きれば悪いことも起きるってやつみたいな感じ。なんたって、こんなにも髪の毛を痛めつけても縮毛矯正をしても2-3ヶ月経てば、クルクルの髪の毛は絶対生えてくる。縮毛矯正は一回2-3万円するからそんな頻繁には行けないし、かけすぎると髪の毛が死んでしまうから数ヶ月置いてからじゃないと次の縮毛矯正がかけれない。だから、ちょっと癖毛が生えてきた部分は自分自身でストレートアイロンをしなければならないし、かなりめんどくさい。縮毛矯正をかけてちょっと時が経った時のプールの後や、梅雨時は髪の毛が異常なくらい広がる。もう大爆発だ。髪の毛が綺麗なのは、縮毛矯正をかけた後のほんの数週間。でもその数週間に私は救われている。

だから結局縮毛矯正は私を救ってくれたものの、髪の毛の悩みは尽きない。今は26歳にもなって自分でお金を稼いでいるから、縮毛矯正費を出すのは惜しくない。自分の精神安定剤だから…病院行くような感覚だし。2-3万払うのも、悔しいとは思いつつも苦ではない金額だ。でも小学校や中学校の時はそんな大金をすぐに出せないから、頻繁に美容院にも行けなかった。だから、ちょっと前までは自分でストレートアイロンで必死に髪の毛を伸ばして、頑張っていた。でも癖があまりにも強いから、アイロンでかけても数時間経てばすぐ根元はモサモサになってくる。22歳くらいまでは本当に、どうすればストレートになる?どういう美容院に行けばいい?色々悩んだものだ。

何年も悩んで努力した結果が今の髪の毛。自分に合う美容院を何年もかけて探したし、自分の髪質もしっかり勉強した。髪を洗うときは傷まないようにかなり気をつけているし、トリートメントだって死ぬほどいろんな種類を試した。そしてもちろん、縮毛矯正をかけてから少し時間が経って、根元がうねうねになってきたら、いつもより早く支度をして髪の毛に時間をかけてストレートにする。今の髪の毛は、努力の賜物だと思う。とはいえ、縮毛矯正ってかなり髪の毛を痛むから、見た目はパサパサだし、触るとギシギシ。切れ毛がひどいから髪の毛は伸びないし、強い薬剤を頭皮に塗りだくってるから髪の毛はよく抜ける。美容師さんにも「これはひどい」と何度も(笑)でもどうしようもできない、これでも裏ですっごく努力しているんだ。だから、何も事情を知らない人に髪の毛の痛み具合を指摘されると、胸が痛むんだ。人ってどういう苦労をしているかわからないから、上部だけを見て人を判断してはいけないなってつくづく思う。

縮毛矯正に慣れていない中学生
根元がうじゃうじゃ(笑)

「幼少期の経験は一生自分に響く」

私の両親は本当に素敵な親で、カーリーヘアーで悩んでいる私にいつも「その髪の毛はスペシャルだ」とよく言ってくれた。親の中では、カーリーヘアーは私の大切な一部みたい。でもやっぱり家族の外では髪の毛についてよく色々言われた、小学校では「外人ヘアー」と呼ばれたりしたし、髪の毛が変だからってボンドをつけられたりもした。そしてそういう特別扱いの積み重ねで、私は自分の髪の毛に対して恥を覚えるようになった。でも大人になるにつれて、カーリーヘアーを褒めてくれる人が増えてきた。一度、ストレートヘアーの私しか知らない男友達に幼少期の写真を見せたら「髪の毛が美しい」と言われた。その時、自分の心の中で化学反応のような何かが起きて、ぎゅっと苦しくなった。今まで「醜い」と思っていたものが、「美しい」だと?その時に自分に縛り付けられたロープなようなものが、少しだけど、解けたような気がした。確かに、私は今までずっと自分の髪の毛を「酷いもの」と決めつけていたのかもしれない。だって、私自身、周りのカーリーヘアーのモデルや、数少ない知り合いを見ても「酷い」だなんて思わない。自分自身のことだから酷く思えるのだ。その時に、幼稚園や小学校の頃の「髪の毛いじり」が少なくとも、「自分のカーリーヘアーは酷い」っていう考え方に結びついているのだなと思った。やっぱり幼少期に経験したことって、大人になってからも考え方や思想に影響してくるのだなと、、、。その時に、思う。幼少期、日本にいなかったら今どういう思いなんだろう。果たして自分の髪の毛が好きだったのだろうか?色んな髪型の子がいるアメリカにいたら、私は今と違う考え方だったのだろうか、とたまに思う。

「裏でどういう努力をしているか人にはわからない」


たまに人から「地毛が赤毛でいいね」「肌が白くていいね」と言われる。でも人って無い物ねだりだからね。今は人に羨ましがられる髪色、肌色かもしれないけど、幼少期はそのせいで「外国人」と言われ、差別に苦しんだ。カーロヘアーも一緒だ。今はストレートで、なんてことない髪の毛に見えるけど、私の髪の毛に関する悩みの歴史は生まれた時から今まで続いている。縮毛矯正をした後の髪の毛だって、傷まないように色んな手段を使って髪の毛の管理を努力した。だから声は大にして言いたい。人は裏でどういう苦労をしているかわからない。表面上どうってことなさそうに見えても、蓋を開けたら自分にコンプレックスを強く抱いて悩んでいたり、死ぬ物狂いで努力をしていたりする。私のカーリーヘアーのように。私の今のストレートな髪の毛だって、2ヶ月に1回2-3万の大金を払って、縮毛矯正をかけている。「美容院に行けばいいだけじゃん!」大したことじゃないように見えるけど、これでもたくさん悩んで努力して、その努力の結果が今なのだ。パッと見て、私の今の髪の毛はなんてことないかもしれない。悩みもなさそうに見えるかもしれない。でも蓋をあけると様々なことに苦しんで、苦労してきて、そして今があるのだ。だから「平気で「髪の毛傷んでいるね」とか言われると「何も知らないくせに」って、負の感情を持ってしまう。

完璧そうに見える人だって、本当は苦しんでいたり、コンプレックスに悩み狂っていたり、なんなら、私には想像もつかないような悩みを持っているかもしれない。裏でどういう思いをして生きているか、どういう苦労を今までたくさんしてきたか、、、他の人には、わからないんだよ。そういう見えない部分って人間はたくさんあるんだと思う。だから、私は人の「完璧」を信じないし、自分自身が見える部分だけで人を判断しないようにしたいなって思う。

現在の髪の毛

でも結局、私は自分のカーリーヘアーを受けいられる日が来ることは、いつかあるのだろうか?自分がカーリーヘアで出歩いているのは想像もつかないし、一生のうちで、そんなことがあるのか?と思うくらい。縮毛矯正をやめる日は果たしてくるのであろうか?もしその日がきたら、その日は最高な記念日になると思う…。だって、自分自身がやっと初めて、自分の全てを受けいられることになった日だから。自分の全てを愛せた記念日、そんな日になると思う。その日は来るかわからないけど、少しづつ自分の特徴でもある「カーリーヘアー」を認めていきたいなとは最近思う。少しづつ、少しづつ。

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