草臥れて 02 遭難

草臥れて

02  遭難

西表島   1993年   21歳



植物に覆われた島、西表島。
僕は西表島を初めて見たとき、「110パーセント、植物の島」だと感じた。
つまり島の面積をはみ出して海の上にまで植物がせり出して繁茂している島、という印象を受けたのだ。
それくらいこの島は植物に覆い尽くされている。

そんな西表島のジャングルに突入した。
西表島には島の真ん中を突っ切る山道があり、歩いて縦断することができる。
僕らはそれに挑戦した。
ジャングル内でテントで1泊し、次の日島の向こう側に出る予定だ。

浦内川を船でさかのぼり、マリウドの滝とカンピレーの滝を見てから、山道に入った。
そこから先は、人っ子ひとりいない。

友達と2人で来ていた。最初は一緒に歩いていたが、足の速い友達は先に行ってしまい、見えなくなった。

僕は1人で森を歩く。

亜熱帯植物が繁茂する様子や木の幹を走り抜けるキノボリトカゲなどを観察しながら、最初は楽しく歩いていた。
のだが、だんだんしんどくなってきた。

視界が悪い。
木々が繁茂しすぎていて見通しがきかない。
頭上をつねに木々に覆われ、圧迫感がある。
地面がうねうねと波打つような地形になっている。上がったと思ったら下り、下ったと思ったら上がるということを繰り返し、疲れる。

暑い。動いてると汗が噴き出す。
蒸し蒸しする。風が吹き抜けない。皮膚がベトつく。

ヨロついて木の枝をつかもうとすると、そこに巨大ヤスデが這っている。脚がたくさんある生き物だ。それが赤と黒のしましまとか黄と黒のしましまとか、どぎつい配色になっていてギョッとさせられる。

川を渡ろうとして誤って流れの中に靴をドボンと突っこむと、靴に大量のヒルがくっついていた。靴ひもの間にヒルが大量に押し寄せ、中に入ろうとグニグニうごめいている。
ヒルはどうも、気持ちよくならない。

毒ヘビ、ハブの恐れもある。ハブは樹上から突然飛びかかってきて噛みつくこともあるという。
見えないが、どこにひそんでいるかわからない。
潜在的にハブの脅威を感じながら歩く。

いろいろあって、なんだか不快指数が高い気がする。

折しも時季は真夏(9月)で、気温は高く、植物が繁茂しまくっている。しかも大型台風の通過直後で、川の水量が大幅に増えていた。
台風の直後というのは土はぬかるみ、道は荒れ、植物は張り切ってワサワサ茂り、川水は怒涛のように殺到する。
ジャングルがそのパワーを全開にしている時だ。

そのタイミングで僕は森に入りこみ、しかも1人になっていた。


あれ?

道がない。何で?

道がなくなっている。

川沿いにさかのぼって来て、二つの川が合流する地点に来た。
その先の道がどこにあるのか、わからない。
道が川にぶち当たり、その先の道がぷっつりと途切れてる……?
人間がつけた踏み跡や目印や、川を渡るための飛び石などが置かれて目で見てわかるようになっているはずが、巨大台風通過の影響でわからなくなっているのかもしれない。

道が見つからない。

どうすればいい?
だんだん焦ってくる。
焦って、やぶの中に突っ込む。
すると下草に足を取られ、ズルッと滑ってズザザザと坂を転げ落ちた。
腰を打つ。痛い。
ぐあー。
上を見ても重なる木々が黒々と押し寄せ、空が見えない。

落ち着け、落ち着け。
といっても、道がないのに、どうすればいいんだ?

とにかく歩き回って探すしかない。
道のないところへ入っていく。どんどん行くと、植物のツルに足を引っ掛け、また転ぶ。
ぬかるみに手をつく。
うああ。森に絡めとられそうだ。

気づいたら、もとあった道に戻れなくなっている。
やって来た道から、外れてしまった。
うわあああ、ヤバい。
迷った!

ヤバいヤバいヤバい。
道がないとジャングルから出れない。
引き返すこともできない。

死ぬ?!
木のツルに絡みつかれたまま骸骨になった自分の姿が脳裏をよぎる。
嫌だ!   そんなのは嫌だ。
まだ俺の冒険の旅は始まったばかりなんだ。こんなとこで骸骨になりたくない。

俺は何をやってるんだ?
骸骨になってしまうぞ、マジで。

ぐわあああ。
ますます焦りまくり、やみくもに走り回る。
はね返った木の枝がピシリと顔に当たる。痛い。
ヨタヨタする。
ザワザワ……ザワ……ドサッ。
木々のざわめきや、どこかで何かが落ちる音が大きく聞こえる。
不気味だ。不安がいや増す。
なんだか視界が狭まってくる。
世界がトーンを落とし、暗くなる。
気が変になりそうだ。


そのとき、視界にピンク色がよぎった。

ん?
何あれ?

ガサッ。前方のしげみの中からピンク色のものが出てきた。

ショッキングピンクのバンダナを頭に巻き、ショッキングピンクのTシャツを着た、若い男だ。
こっちを見ている。

「あ……どうも」
「ども」

互いに、相手がしげみから出てくるのを目撃し、ボーッとしている。

「なんか道、わからなくて…」
と僕。
「わかんないッスよね、道」
とピンク君。

僕らは2人とも、道に迷っていた。
2人ともが迷って疲れてヘトヘトになっていたときに、不意に出会ったのだ。

どちらからともなく腰を下ろす。
この人はキクモリくんという名で、僕の1つ年下の福岡の大学生だった。
自転車で沖縄を旅していて、自転車を船着き場に置き、1人でジャングルに突入してきたという。
やたらと日焼けして目のギョロギョロした、眼光の鋭い男だ。

「西表、しんどすぎるなあ」と僕。
「ほんと。ナメてたけど、ここヤバいわ」とキクモリくん。
「死ぬな〜、マジで」
「もう死にかけ。ぷっひゃひゃひゃ」
「ふぁはは」

笑えてくる。
ふうー。息を吐く。
気が楽になった。

2人ともが迷っているという状況は、2人を安心させた。
1人と2人では、全然違った。


腰を上げる。
「道、探そう」

今度は2人で落ち着いて、道を探す。
さっきよりも視界が広がり、深く遠くまで見えるようだ。
パニクってると、視界が狭まるみたいだな……。

そうしていると、道は見つかった。

「あった、ここや!」
見つけてみれば、なんてことなかった。
あったのに、目に入ってなかった。
僕らは息を吹き返し、ぐんぐんと歩いた。

歩いて行くと、「第一山小屋跡」というキャンプ予定地に、僕の友人が待っていた。

「おそかったねぇ」
「ん、うん。ちょっとね。あ、この人、キクモリくん」
「ども、キクモリっす」

それからテントを張り、3人で炊事して夕食を囲んだ。

日が暮れ、あたりが暗くなる。
アイフィンガーガエルの鳴き声が森に響く。この樹上性のカエルは水滴が落ちる音のような、素敵な鳴き声をしている。
光がスーッと闇をよぎった。
「あ! ホタル」
明滅しながら、あちこちで光が舞っている。
幻想的で、とてもきれいだ。
テントの網戸ごしにホタルの光跡を追い、カエルの声を聞いていた。

予定ではこの夜、ジャングルに張ったテントでイリオモテヤマネコに会うはずだった。
イリオモテヤマネコは地球上でこの島にだけ棲息し、しかも100頭くらいしかいない非常に稀少な生き物だ。
じっと闇に目を凝らす。
でも山猫らしきものは姿を見せない。
夢で山猫に会えばいいか。
疲れて僕は泥のように眠った。


翌日、僕らは調子良く歩き、無事にジャングルから脱出した。

あのときキクモリくんに会えてよかったな、と思う。
パニックがスッと収まったから。
会えてなかったら、と思うとゾッとする。


そのあと泊まったキャンプ場に、異様に暗い集団がいた。
若い男女グループなのだが、すごく暗い雰囲気が漂っている。
話してみると、大学のワンダーフォーゲル部の人たちで、「みんなで島を歩いて縦断していたが、森から出てきたとき、1人いなくなっていた」と言うではないか。
「え……」僕は絶句してしまった。
このグループの中の1人の男子学生が、集団で縦断ルートを歩いてる間にいつのまにかいなくなり、行方不明になってしまった。

慄然とした。
僕らが歩いた1日前か1日後、というタイミングだろう。
それは全く、僕でもおかしくなかったのだ。

その後も、その人は森から出てこないままだ。

「死にかけ〜」と言って僕とキクモリくんは笑っていたが、「消えた学生」と僕らは紙一重のところに立っていた。                                                  ただ、「もうひとり、遭難仲間を見つけたか?」 という点だけが違っていたのだ。


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