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怒ったら鼻水が出たはなし

以前会社で、事務員として勤めていた時がありました。ある時その会社で、「広告部」が立ち上がり、チラシを作るデザイナーの社員さんを募集していた頃の話です。


一人女性がデザイナーとして入社しました。彼女は明るい人で、私たちとすぐに仲良くなり、私たちはいつも冗談を言って笑わせ合っていました。


しばらくすると彼女は、上司と折り合いがつかないのか、度々上司から小言を言われるようになりました。詳しい原因はわかりませんでしたが、彼女は少しずつ元気がなくなっていきました。


その日仕事をしていると、みんなの前で彼女が上司から咎められる事態が発生しました。私の机は彼女を背にしているので、彼女が咎められている最中私は背中で嫌な雰囲気を感じていました。


言われている内容は覚えていませんが、私にはとても理不尽に思われ、元からあまりその上司のことが好きではなかったのもあり、段々と苛立ちを感じていました。心の中で「(早く終わらないかな)」と思っていました。


仕事に集中できなくなり、とうとう私は誰にぶつけるわけでもなく、なんとその場で怒りを爆発させてしまいました。大きな声で気持ちを放ってしまったのです。普段怒ることがあまりない私は、何があってもなるべく一旦は落ち着いて周りの状況を見ようとする性格だと自分でも思っていたのですが、その時は「キレてしまった」のです。


仲が良い同僚が理不尽な理由で、みんなの前で怒鳴れらて、かわいそう。そう思ってるのは私だけではないはず。私はその怒りを表して、正しいことをした。そう思っていました。


その日の仕事が終わり、会社を出て私は帰りの電車に乗り込みました。


電車に乗ってしばらくすると、鼻水が出てきました。私はカバンからハンカチを取り出し鼻を抑えました。そしてハンカチを鞄にしまいました。しばらくすると、また鼻水が出てきます。


「(風邪をひいたかな?)」と思い、席が空いたので座り、ハンカチを取り出してまた鼻を押さえました。しかし止まらないのです。風邪のひき始めのような花粉症のようなサラサラした鼻水が、とめどなく流れてきます。


私はビックリして、それでもハンカチで鼻を押さえるしかないので、ずっと強く押し続けました。鼻を啜っても止まらず、とうとうハンカチはびしょびしょになってしまい、私は恥ずかしくなりずっと耐えていました。


自宅の駅に着き、急いで降りて家に向かいました。風邪をひくと、日中は元気でも夜遅くに突然具合が悪くなることは度々あったので、家に着くと何回もうがいをして、その日は早めに休みました。


翌日体調に異常はなく、確か普通に出社したと思います。しかしこの鼻水の件がずっと頭に引っかかっていました。


ある日、聞きたいことがあり、カウンセラーさんに会いに行き会話している時に、ふとこの鼻水の件を思い出し、それについて聞いてみることにしました。会社で怒ってしまった事、帰りに電車で大変になってしまった事。


するとカウンセラーさんはこう言いました。「みんなの前で何か言うときは、民意を得る言い方をすること」。


「民意を得る。。?」よくわからない私に彼女は詳しく教えてくれました。自分がどれだけ正しいと思っていようと、外に出した怒りは、周りの人にとっては痛みとして刺さる。何かアクションを起こすなら、自分も周りも納得できるような仕方をするのが一番良い、とのことでした。鼻水は、それを私に教えてくれた出来事とのことでした。


あの鼻水がそんなことだったとは(笑)。まさかそんなこととは思わず、私は意表を突かれビックリしました。でも、そうだったのかもしれない、私が逆の立場なら同じように痛かったかもしれない。


「それならみんなに悪いことしちゃったな。。」心配する私に、カウンセラーさんはこう言いました。「みんなに謝って許して貰えばいいよ♪」


なるほど、悪いと思ったら謝って許してもらう。この行為は「私はあなたと仲良くいたい」と相手に自分の好意を伝える、シンプルで最高の手段だと思っています。


「(そうか、謝って許してもらばいいのか)」それなら今度そうしよう。そう思いました。


鼻水のインパクトが大きくそれだけをよく覚えているので、その後みんなに謝った記憶がないのですが、多分謝ったのだと思います(笑)。こうすると良いよ、ともらったアドバイスは全部実践してみたい性格なので、きっと実践したと思います。


この物質元の世界にいると、目に見えるものには形があり、個別化していて独立していて、まるでみんな離れ離れで、お互いに分かりあうことはとても難しいのではないか、と不安に思うことがあります。


でもだからこそ、「人と仲良くいたい」と思う自然な欲求があるのだと思います。もちろん出会う人全員と仲良くいることはできないかもしれないですし、「気が合わないな」と思う時は無理しないで離れることを選択することも自由ですが、どんな状況でも、自分という人間の部分を確立させていく良い機会なのかもしれません。


ちょこっと感情を表現したら、そのような理由により自分にそのようなことが起こって、私はよほど心の分野に興味があるのだと思いました。自分の中にある正義感は、顔を出している時はエネルギーも強く怒りとして出てきますが、それを「正当な怒り」として表現し、それが「何を表現してるのか」をわかってもらうにはどうしたらいいかを考えるという、良い経験になりました。このようなことは結局「全体性」に繋がっていくと思うので、それについてはまた今度書いてみたいと思います。


お読みいただきありがとございます。何かのヒントになれれば嬉しいです。


sayaka






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