書いたことで伝わる「好き」がある。
「なんのために書いてるんだっけ?」
ふと、そんな自問自答をしてみた。
せっかくだから、この機会に振り返ってみようと思う。
書く原点は?
わたしは文学部出身ではない。書くことが得意でもない。どこにでもいるふつうの主婦だ。そのわたしが、1300日以上もnoteを続けていて、なぜ文章を書いているのか。
さかのぼってみると、始まりは2019年だった。娘は10歳。交友関係が複雑になってくるお年ごろだ。学校から帰宅すると、ちょっと元気がない。
多感なお年ごろだから「どうしたの?」と訊くこともできない。娘が元気がないと親も悲しい。なんとか元気を出してもらえないだろうかと、娘の好きなところを100個書いてプレゼントしてみた。
受け取った娘は照れながらも喜んでいた。幸いにも捨てられずに本棚にある。
娘がニヤニヤしながら読んでいる姿を見て嬉しかった。このnoteを読んでいるあなた、どうか実践してみてほしい。わが子であっても、100個好きなところを書き出すって大変だ。100個書くのって実は苦しかった。
はじめは宿題をきちんとこなす、ピアノを3年続けているなど表面的な良さが書かれている。
だんだんと髪がストレートでツヤツヤ、明るい、美味しそうにご飯を食べるとか、娘の“素”の部分を書いている。
特に娘が喜んでいたのは、何かを成し遂げたり努力した部分よりも、存在そのものを肯定して書いた部分だった。そこを書いたことで、結果的にどんなところも、どんなあなたでも、大好きだよと伝えられた。
このとき、娘に喜んでもらえたのが嬉しかったから、「ああ、わたしは書いているのね」と思っていたら、なんと! おばあちゃんにこんな手紙を書いていた。
この手紙は、おばあちゃんの遺品整理をしていたときに見つけたものだ。
おばあちゃんが亡くなって数十年ぶりに、わたしの元へ返還された。
もう何十年も前のことなのに、おばあちゃんが大事にしてくれていたことが、嬉しい〜
更に、両親にも「元気が出る手紙」を送っていて、
母がファイリングしてくれていた。
この手紙は、わたしが東京で暮らし始めたとき、離れた両親を元気づけるために書いたものだ。
振り返ってみると、
わたしの書く原点はそこだった。
喜んでもらえたことが嬉しかったから、こうしてnoteでも書いているんだと思う。
書いて伝えるのは
な、な、なんと、
無料!!
(紙代と切手代を除く)
そして、文字が書けるなら、8歳の子どもでも書いて伝えられるし、40代で腰が痛くても書くことはできる!
いまはもう、おばあちゃんは亡くなっているから、手紙を書いて届けることができない。生きているうちに、大切なひとに気持ちを伝えておいて良かったな。
言葉を伝えるにも賞味期限がある。家族は居るのが当たり前で、つい伝えそびれてしまうけど、
好き ありがとう 良いところ
「書いて」伝えてみませんか?