自分本位で伝えていない?
こんなにスマホが普及しているのに、わたしはよく道を尋ねられます。
「ねえ、ちょっとすみません。きやってどこですか?」
なに言ってるのって思いませんか? わたしは全然わかりませんでした。
きやってどこですか?
は
木屋ってどこですか? となります。
木屋は、包丁、おろし金、爪切りなどを販売している金物屋さんです。こんなふうに言ったら伝わりやすかったかも。
「金物屋さんの木屋を探しているのですが、どこにありますか?」
「包丁を扱っている木屋を探しています」
いきなり、見知らぬ人から「きやってどこですか?」と言われても脳内で直ぐにわかりません。
こんなこともありました。
「どれいこうぼうが見当たらなくて、このあたりにあるって地図にはでてるんだけど」
「どれいこうぼう」この言葉を耳にしたとき、なぜか「奴隷工房」と変換されて、頭の中は ?? な状態です。
「ど、どれい?」
「そうそう、ほら、土を焼いて作る鈴あるじゃない」
「ああ、その土鈴工房のことですね? それは……」
と説明しました。
こんな質問もありました。
「のうのばしょどこ?」
これ、わかりますか?
「のう?」
「そうそう、その稽古場が見つからなくて」
そこでやっとわかるわけです。
「能楽の稽古場所を探している」と。パソコンで場所を調べてご案内しました。
人って、自分が知っていることは相手もわかっていると思い込む節がありますよね。それが自分に置きかえてみると、文章を書くときに同じことをしていたんです。
わたしも自分が知っていることは世間の人も知っていると思い込んでいた言葉があります。
例えば、「タスカジ」
家事代行サービスです。利用しない人は知らない言葉かもしれないですね。noteに書いたときは、タスカジ(家事代行サービス)と( )で補足を入れました。
また、「年少」「年中」「年長」という言葉。
子供を育てている人は、何歳くらいかわかるようですが、独身の人から見ると分かりづらい言葉のようです。それは、「ママどうしの仲間ことばだ」と不機嫌になっているひとがいました。具体的な年齢のイメージがつきにくいようです。
自分のことって一番わからないですよね。今日も紙にいろいろ書き出して自分棚卸しをしていました。
そして、物事を「自分本位で伝えていないか」を振り返っています。noteに書くときも意識してみようと思います。