デザイナー目指すの、やめました。
秋生まれ。
大好きな秋が来た。
すかーんとした穏やかな水色の空、遠くにある羊雲、よく見ると大量に飛んでいる赤とんぼ、黄金色の稲穂、夜のすずやかな鈴虫の声。
今年は不思議と、「大好きな季節だから」という理由だけではおさまらないくらい莫大なエネルギーが湧いてきている。
なんでだろうと考えると、一つ大きなものを手放したからだという答えに辿り着く。
私、デザイナー目指すの、やめました。
Webデザイナーになりたくてキャリアスクールに入って1年半。
やっとこ決心がついた。
手放すに至った経緯はいくつかあるけど、決定打は間違いなく「情熱」。
フルタイムで働いていた頃は「もっとデザインの勉強がしたいのに!休日出勤もあって時間が取れない!」と嘆いていた。
そんな時、いつも頭をよぎっていたのは、どこかで聞いた
「何かを理由にしているうちは、どんな状況になってもやらない・できない」という言葉。
ぎくりと思いながら、
仕事を辞めたらデザインの勉強に集中できる!
そしたら私ももっとスキルを磨いて、あの人みたいになれるはず!
と言い聞かせながら退職して半年が経過。
SNSでデザイン仲間の熱量を目の当たりにする。入会当初は私もその燃え上がる輪の中にいたはずだ。
それなのに、いつの間にかそれを俯瞰していることに気がついた。
「羨ましい」という感情は自分がその土俵に立てていないから生まれるものだ。その土俵に上がれない自分への言い訳だ、と私は思う。
「私はみんなに比べて情熱がない。どうしてそんなに熱量があるのだろう。」
そんなことをデザイン仲間ではない友人にこぼした。それが今年の7月頃。
それからというもの、もうちょっと頑張れば、もうちょっと、もうちょっとと諦めきれずポートフォリオを整えたり、スクールの集中講座を予約したり。
この情熱のなさは「デザインに対する理解や技術が足りないから」だと思ってた。思い込もうとしてた。
今思えば「もうちょっと頑張れば」何だったんだろう。頑張った先に何がほしかったんだろう。
8月、ぽっと運よくポートフォリオを見たという企業から声がかかり業務委託を開始した。自分の制作物が日の目を浴びたのだと嬉しくなった。
まだまだやれる、と少しだけ熱が上がった。
それでも「手放そう」と決めたのは他でもない、
寝ても覚めてもどんなに疲れていても体調を崩していても、絵を描いている自分がいたからだ。
誰に頼まれたでもない絵を、ひたすら描いている私がいたからだ。
デザインの勉強はできないのに、制作物を作る時間はないのに。だ。
「デザインの勉強をまた頑張ろうと思う」
「今度集中講座があるから受けてみようと思って」
と夫に言うたび、
「そうなんだ。絵だけじゃダメなの?」
と無垢な顔で問われていた。
私はよほど、苦しい顔をしていたのだろうなと今になって思う。
デザイナーになれと誰に決められたわけでもない。なりたいと思って走り出したのは紛れもなくあの時の私だ。
「私、デザイナー目指すの、やめました。」
あえて宣言する必要はない。私の夢だ、未来だ。
でも、今こうして手放すことを決断できた自分を忘れたくない。大切にしたい。だからここに残す。
情熱がない。
私にとってそれは「好きじゃない」ことと同義だ。
私には大好きな絵があると思い出した。
だから、デザイナーへの執着を手放せた。
きっと本当は、ずっと最初から絵を描いていたかった。
でも、1年半前、まっすぐにそれを選びとらなかったのも私だ。
好き「だけ」を抱きしめて生きると決めた。
この覚悟は固い。
じゃあ、デザイナーを目指さなければよかった?と聞かれれば、はっきり「NO」と言おう。
あの時、デザイナーを目指しはじめたことこそが大切な選択だった。
大好きな俳優、満島ひかりさんが先日こんなことを言っていた。
今、手放すと決めたから大事なんだ。
遠回りをした。それがよかった。デザインが私の絵に生きる、私の人生に生きている。
自分の人生をデザインする力は着々と付いている。
遠回りは最高に楽しい。最高に豊かだ。
来たぞ、私の時代。遅すぎる波がやってきたかもしれない。
大好きな秋が来た。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?