見出し画像

「せっかく」に負けずに向き合えるようになった2023年〜描く原体験〜

2024年3月31日で退職、その後は無職。
今ところそれに間に合わせるように就活する気はない。

「せっかく学んで得た国家資格」に縛られて10年。
「せっかく」と言う言葉はずるいなぁといつも思う。

その「せっかく」を放り出して進もうとしている私に、また「せっかく」の壁

今年から学んではいるけど、Webデザインじゃなく、イラストを描く方が好きだと気づく。

「せっかく学んできたのに」と言う思いがまた働く。

いや、その「せっかく」、ちょっと待った。
何かが腑に落ちない、「せっかく」で片付けてしまってはいけない気がする。と思ってこれを書いている。

「デザイン」は「課題解決」が目的だ。
私がイラストを描くのが好きなのは、自己表現?つまりはアート?
私アートがしたいんか???アートで食っていくんか?と暇さえあればiPadとApple Pencilを握りしめている自分にモヤモヤが生まれる。
ねぇ、デザインの勉強しなくていいの?と。

でも、私がやりたいのって「やっぱりデザインじゃん!」と今何かを掴んだ気がしたのでここに記す。
(文章構成考えていないので、以下、話半分で読んでくださいスライディング土下座)

描くことが好きだったのはいつからか振り返る。
小5くらいまでの記憶がほとんどと言っていいほどない私が覚えていることがいくつかある。

幼稚園年長さん頃、親子参観のような催し物の時に母が画用紙にクレヨンでリスを描いてくれた。
母に絵のセンスがあるとは今でも思えないが、「良き主婦、良き母」でいることに力を注いでいたと思われる母なので、どこかで練習したのではとも思う。
「かわいい、すごい、リスだ」と興奮したのを覚えている。ここで自分で描けることへの憧れが生まれる。

それから、小学生の時。
国語の教科書に掲載されている物語の絵を描くと言う授業があって、全学年の作品が体育館に掲示される。優秀者には右上に金や銀の短冊形の折り紙が貼られると言うもの。
小学校1年生の時に書いた絵のことをよく覚えている。
確か題材は「ごんぎつね」で、きつねの首にうなぎが巻き付いてしまうと言うシーンを描いた。
形を捉えることは得意だった。その年齢にしては絵のセンスはある方だったはず。
問題は色塗り。
ゴールが見えると気が焦る。「早く完成させたい。完成させて楽になりたい。」と言う気持ちが芽生える。なんと色塗りが雑なことよ。滲んで色が混ざり合ってくすんだ色が広がる。筆の跡が見える。塗ってると言うより置いている感じか。

思えば「楽しくなかった」のと「イメージが頭の中に完成されていないまま手を動かした」のが敗因だった。
イメージが湧かないから楽しくなかったのかも。
今でもそうだ。インスピレーションが沸かないものは楽しくない。インスピレーションが沸く=脳が刺激を受けて楽しい状態だから。当時、頭の中にあるイメージには色が鮮明塗られていなかったのだと思う。

小学校5年生の時。同じ授業で、初めて「金色の短冊」が私の作品に貼られた。自信作。この頃から私のイラスト熱が開花していく。
題材は覚えていないけど、男の子が夕日を背に横笛を吹いている絵だった。
夕日の情景が突然降りてきて、これまでの4年間では信じられないくらい丁寧に筆を動かした。
夕日に染まる空のグラデーション。自分の頭の中をそのまま形にできてとても感動を覚えたが、残念ながら配色が逆だった。太陽に近いところから徐々に明るくなっていくのが通常。その誤りに体育館で気づいて悔しいと思った。
それでも、その金色の短冊が「正しさ」より「伝わる」ことを優先して良いことを証明していた。
「表現」する絵に「正しさはいらない」と学んだ。

いつでも「正しさ」に縛られそれを選ぶことに必死だった私にとってアートとしての絵は自由の象徴だった。アートの楽しさを知った。
言葉で自分を表現できない私の救世主に出会った瞬間だった。


そして、小学校6年生の卒業文集の表紙を描いた。
クラスメイト全員の名前を筆で書いて、ジグソーパズルになっているようなデザイン。誰一人として欠けてはいけないことを表現した。これも突然頭に降ってきた。
私のデザインはここから始まっていると思うのだ。
(今思えば得意なイラストと習字を掛け合わせていた…!)

その後、中学3年の時の卒業文集では、中のイラストを担当させてもらった。クラスに絵が上手な子は他にもいたのに。(当時流行りの萌え系でめっちゃ上手い子が数人いた。)
当時私はりぼんっ子で、「神風怪盗ジャンヌ」とか「満月をさがして」とか種村有菜大好き人間だった(並行して鋼錬も大好きだった!!!)のだけど、もうちょっと簡易でポップなイラストも好んで描いていてそれがみんなが手にして目に触れる卒業文集の体質にあっていたのだろうと分析する。

同学年の時に、動物愛護のポスターコンクールで入賞して県庁で表彰された。愛犬が四葉のクローバーで溢れる草原?にいる絵を描いたのだけど、今思えばなんでこんなに上手いんだ私ってほど上手いのねこれが。
この愛犬の愛くるしさを表現するにはポップではダメだと思いリアリティのある絵にした。(今でも実家に飾られているけど驚くほど良い。笑)
この頃から、絵のテイストにちゃんと理由を持たせるようになっていたように思う。頭脳が発達が感じられる…。


話は少し逸れるが、
私、場の空気を読むのがめちゃくちゃ得意。長所であり、空気読みすぎて苦しい場面もあるから短所でもあり。
表情、言動を見れば大体本音がわかっちゃって本業ではそれがめちゃくちゃいきている。ゆえに気難しい人でもなんとなく懐かれちゃって苦労したりもしている。笑
とにかく、人様に求められていることが割と鮮明にわかる。わかってそれを自分に落とし込むことができる


で、思うのが、
TPOに合わせたイラスト」が描けたらいいな?ということ。

つまりは
「自分の頭の中や自分が描きたい絵を描く(アート)」のではなく、
私のテイストを確立しつつ、
相手や世間が求めているものをイラストにして提案する。

私、それできそう。

それってつまりのつまり、「デザイン」だ。

得意との組み合わせといえば、SHElikesのコミュニティイベントを楽しいって理由だけでグラレコ(グラフィックレコーディング:会議や講演の内容をイラストや図、文字を使ってリアルタイムにまとめていく手法。私の場合はまだまだリアルタイムに追いつくには技術が追いつかず正式にはグラレコと言えない。)をやってみた。結構好評で「あぁ、あのグラレコの人」って認識されていた。

求められているもの、重要だと思うことを書きおこす。
会議の内容をホワイトボードに書きながら話を整理するのは普段からやっていて、実はそれが得意。よく会議参加者に褒めてもらえる。

得意なホワイトボードまとめ×イラスト=グラレコ…!!

と言うわけでこちらも少しずつ技を身につけていきたい。
(課題:さらさらっと特徴を掴んでわかりやすいイラストが描けるようになる必要がある。)


今のところイラストを仕事にしたいかもしれない。
いや、仕事にしたいって言うより、ずっと描くことをしていきたいと言う方が間違いないかもしれない。
不思議と描いている時は夢中になれて、嫌なことも寝ることも(?)忘れたりしている。

私が描くことは自分自身を救うし、誰かの力にもなれそうな気がしている。


まだまだ方向性は未確定。
背中を押してくれる友人たちがたくさんできた。

2024年は「考えてからやる」から「やってから考える」私になる。
(いつも背中を押してくれてありがとうしいたけ占いさん。)

「せっかく」は私を苦しめてきたけど、
「せっかく」に向き合う体力と頭の柔らかさを手に入れてた2023年の私。


希望しかない年の幕開けはもうすぐ。



いいなと思ったら応援しよう!