【短編】忘却の神様
私は小さい頃の記憶がほとんど無い。断片的で、言葉にすると5分と持たないくらい、全然記憶がないのだ。
***
あぁ、今日も怒られちゃった。外でご飯を食べながらいつもみたいにボロボロ私は泣いていた。食べるのが遅くて怒られた。ママはいつも理不尽に私を怒る。もうお腹はいっぱいで、一口食べ進める事に嗚咽してしまう。中から「食べ終わらないと家入れないからね!作ってもらってるんだから感謝しなさい!」と怒声が飛んできた。「はい。ごめんなさい。」ボロボロボロ…涙は止まらない。
昼は、何で怒られたんだっけ。
ママはなんでいつもあんなに怒っているんだろう。私の頭が悪いから?食べるのが遅いから?お絵描きが下手だから??ピアノがお上手じゃないから?????
泣き跡を付けたまま布団に入って寝ようとすると、なんでだか全然寝付けない。バッチリ目が冴えているのに、夢見心地な声が聞こえてくる。「あやちゃん、あやちゃんこっちよ」
えっ!だれ?ママの声じゃない。怖くなって慌てて目をつぶると亜麻色のお姉さんが、さやちゃんって話しかけてきている。さっきよりもハッキリした声で。
「おねえさん、だれ?ママが知らない人と話しちゃいけないって」
「ふふ、誰かな?あやちゃんのお医者さんかな?あやちゃん、今いっぱい傷ついているのよ。」
「どこにも傷なんてないよ、ほら」
私は手のひらを見せて、スカートをめくってお膝をみせた。
「そう、そのままでいいわ。明日からちょっとだけ生きやすくしてあげる。」
お姉さんは話しかけてきたくせに全然こっちを見ていなくて、どこか遠くを眺めるように私を通して違うものを見ている。
「いい?拒否権はないけれど。勝手に取っちゃってごめんなさいね。」
そう言ってお姉さんは私の額に指を当てて、そのまま消えていった。変なの。気がついたら意識が無くなって、朝になっていた。
昨日、変な夢を見た気がする。なんの夢だろう。なんだか胸のつっかえが取れたような気がする。
霧が晴れた様に私の心は軽くなっていた。
***
私は小さい頃の記憶がほとんどない。記憶が無い理由も分からない。でもある時から私は記憶をディスクに残しておくことが出来なくなったみたいで、私の記憶の箱には穴が空いて、大事なものをしまってもしまっても知らないうちに無くなっていく。大切だった人も思い出も、感情も私の中には留まってくれなくて、その事を思う度に悲しくなるんだけど、その感情すらも忘れる虚しい生き物になってしまった。ねぇ、あやちゃん。どうして私には小さい頃の記憶が無いのかしら。あなたの苦しみは今の私が背負うから、私の記憶を返して。