初めての1ペソ。〜ストリートチルドレンとの出会い〜
もうすぐ11歳を迎えようとしていた幼い頃の私は、左ハンドルのNissanカローラの後部座席に乗っていた。
狭い車内で、見慣れない外の風景を眺めていた。
道端には椰子の木が立ち並び、バナナが生い茂っていた。外の空気はカラッと晴れていて、ジリジリと太陽が照りつけていた。それは、日本とは異なった、熱帯地域の雰囲気だった。
私を乗せた車は、赤信号で止まるや否や、小さな子供たちにわんさか囲まれた。その子供たちは、先頭の車から一台、一台、ガッチリと貼られた黒い車の窓のフィルムに、顔をつけ、中の人にお金が欲しいとせがんでいた。
そんな子供たちが、小さな私を乗せたカローラに近寄ってきた。
私より幼い子供たちが、たった10年ちょっとしか生きていない私に、お金が欲しいとせがんでくる様子に、小学生の私は、下を向き、目を合わせないようにし、心を痛めることしかできなかった。
売り子として働く子供たち
私が初めて訪れた海外は、フィリピンだった。今でこそ、経済が少しずつ発展し、ストリートチルドレンと呼ばれる子供たちは、路上で見ることは、以前よりも少なくなったのだが、今も、路上生活をしている子供たちは大勢いる。
そして、私が小学生の頃は交差点に止まるたびに子供たちに囲まれるのが、当たり前だった。
その子供たちは、ただただお金をせがみにくるだけではない。
家族が作った小物や、食べ物などを手に持ちながら、それを車の中の人に売って歩くのだ。
35度を超え、照りつける太陽の下での日々の労働に、子供たちの肌は真っ黒に焼けていた。
ーーそんなある日。
ある男の子が、私の乗っている車に近づき、手に持っている、微かに動く緑の生き物を見せてきた。
イグアナだった。
その子が自分でそこら辺の茂みから捕獲してきたのだろう。
イグアナの首には、細い小さな糸が犬のリードのように巻きつけられていた。私にとって、こんなに間近でイグアナを見るのは初めてだったから、とてもびっくりしたのが、そのイグアナは、今にも息絶えそうな様相で、かわいそうにも見えた。
そりゃ、照りつける太陽の中、ずっと子供に体を鷲掴みにされ、持ち歩かれてしまっては、イグアナだって、弱るに決まっていると思った。
クリスマスには手作りの楽器と歌で
クリスマスになると、路上の子供たちの持ち物が変わる。コカコーラの瓶の蓋を石で平たくし、それを太い木の棒に、釘で止める。それを縦に3つ並べるのだ。
その棒を振ると、チャッチャッチャと鈍い鈴のような音がするのだ。
子供たちは、クリスマスが近くなるや否や、自分でオリジナルの楽器を作り、それを持って路上に出かける。
そして、車を囲んで歌を歌うのだ。
朝早くから、夜遅くまで、歌を歌い続ける。
それを車の中で見ている私は、また心が痛んでいた。
初めて1ペソをあげた日。
それは、いつにも増して暑い日だった。
いつものように私は後部座席の窓側に腰をかけ、車に乗っていた。
私の車が赤信号で止まると、その日は小学校3、4年生くらいの身長の男の子が、車に寄ってきた。
もちろん、私の乗っているカローラの窓には、濃い黒いフィルムが貼ってあるから、簡単には中は透けて見えない。
それを逆手に、私はその男の子を目で追っていた。
すると、その子は私が乗っている側の窓際で、急に踊り始めた。
楽しそうに、陽気に踊り始めたのだ。
音楽も何もないのに、とっても楽しそうだった。
それを見ながら、私は何だか笑えた。
今まで出会った子供たちとは違って、この子はとっても明るく、幸せそうにしていた。
その踊りを見て笑っている私を見た母は、私に1ペソ(当時の物価で2円)を渡し、その男の子にあげるよう言われた。
私にとってストリートチルドンにお金をあげるのは初めてのこと。内心ドキドキが止まらなかった。
窓を少しだけ開け、指先で1ペソを外に出した。
そしたら、その男の子は1ペソを受け取り、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように、車から離れていった。そして道端で1ペソを握り締めながら、楽しそうに踊っていた。
それを見て、私は1ペソでは何も買えない現実と、彼の喜びの舞いの差に、不思議な感覚に陥ったのだった。
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