お金という名の道具
数年前の年末年始、私はバンコクにある、とある高層マンションの最上階の一室にいた。
電気を消して、遠く向こうの川辺に打ち上がる数千万もの花火を眺めていた。
花火は次々と打ち上げられ、美しい光を放ちながら夜空へと舞い上がり、儚く消えていった。
それは、それは美しい光景であった。
私は富裕層となった
私が数年間滞在していたタイという国は、東南アジアに位置し、経済発展が著しい国である。しかし、その富は一部に集中しており、貧富の差が非常に激しい。
バンコク市内を歩けば、その格差は一目瞭然である。それが田舎へ行けば行くほど、バンコクはまるで異世界のようにも感じる。
そんな国タイで、私は富裕層となってしまった。
私は当時、バンコクの中心部にある24階建のマンション最上階の一室に住んでいた。そのマンションには、ジムやプール、ラウンジ、ピリヤード台が設置され、居住者は自由に利用することができた。
私の部屋からは、周辺地域が一望でき、とても美しい見晴らしであった。私は毎朝、外を眺めながらタイの雰囲気を感じていた。
しかし、私はなんだか、雲の上に住んでいるような気持ちであった。
檻の中に閉じ込められた小鳥となった
当時の私にはお金にゆとりがあり、なんでも欲しいものは手に入れられるような状況であった。しかし、もともと物欲が低い私にとって、欲しいものなんてほとんどなかった。
そんな私でも、自分の手で稼いだお金を、パーっと使ってみたら、気分が晴れるのか?とも考えバンコクの高層マンションに住んでみたものの、プールに行けど、ラウンジに行けど、なんだか私には虚無感しか襲ってこなかった。
外を眺め、微かに見えるタイの人々の様子を見つめながら、私はぼーっと、この部屋で何をしたいんだろうと考えていた。
あの当時の私は、まるで檻の中に閉じ込められた小鳥のような気分であった。
お金という名の道具
お金はないよりあった方がいいに決まっている。
私は学生時代、お金に苦労して過ごし、必死にアルバイトをしていた。
だからこそ、早く一人前の社会人として自立し、十分に満足のいくお金が欲しいと心の底から願っていた。そして、アルバイトに当てていた自分の時間を、自由な時間として謳歌し、欲しいものをたくさん買おうと心に決めていた。
しかし、お金を手に入れた私は、それを稼ぐばかりで、何も使い道が見当たらなかった。
私は道具であるお金を集めてばかりで、それをどのように使えば自分自身が満たされるのか分からないという葛藤をしていたのであった。
そして結局、私は自分らしくない、上流階級の生活に身を置き、息が詰まってしまったのだった。
時給820円のアルバイト
ーーーある日。
私は富裕層であり続けることをやめた。
そう、仕事をやめたのである。
きっともう、あの高層マンションの一室で年末年始に美しく打ち上がる花火を眺める日は今後訪れないであろう。
そう思うと、少し寂しくもある。
しかし、そんな私は鳥籠の扉を開けられ空へと飛び回る小鳥かのように、自由という対価を得た。
マンションを離れ、日本へと舞い戻った私に見えた光景は、私がもともといた世界であった。
そうだ!私はそもそもお金がない身分だったのだ。
社会人として仕事をするまでの私は、どんなにお給料が安かろうが、どんな仕事でも、学問を追求するために努力を積み重ねていた。
私はそんなことを思い出した。
だからこそ、数年ぶりに時給820円の農家バイトをしている今年の自分は、なんだかお金の使い道に悩み、ぼーっと花火を眺めていた頃の自分よりも、ずっとずっと美しく輝いているような気がしている。
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