自由奔放な発明家の祖父。
私の亡き祖父は、本当に自由人だった。世間の「常識」というものは、彼には全く通用しない。彼は、彼の世界で生きていた。
私はそんな祖父があまり好きではなかった。
いつも変なことばかり言っていた。
いつも変わったことばかりやっていた。
「なんで、私のじいちゃんは、こんなにも変なんだろう。」と、物心ついた頃からずっと思っていた。
そんな祖父は、私の人生において強烈な思い出ばかりを残して、この世を去った。
もう祖父が亡くなって、6年以上は経つのだろうか。
時が過ぎるのはとても早い。
タイに住んでいる頃は、たまに夢の中に出てきては「あぁ、また私のところに会いにきたのか・・・」なんて思っていたが、もうさすがにイギリスまでは来なくなった。
私の夢に出てこないと、少し安心する。
それは人より長い時間をかけないとできないことが多い祖父が、ようやく天国まで到着したように思えるからだ。
こたつ事件
どうして、私の祖父がそこまで「変な人」のレッテルを貼られるようになったのか?というと、エピソードが山ほどありすぎて、一つの記事ではまとめきれない。
だが、ここでは、二つだけ我が家で受け継がれる祖父の武勇伝を紹介しようと思う。
まず一つ目はこたつ事件である。
祖父はとにかく寒がりだった。
冬になると、いつも「寒い寒い」と言っていた。
確かに、東北の冬は寒い。そして、北海道と違って東北の家はとにかく作りが簡素なのだ。
それにしても、祖父が感じる寒さは私が感じる寒さ以上であったのだろう。
ある時は、祖父と祖母と私の3人暮らしで冬場の電気代が1ヶ月10万円という請求が来たことがあったくらいだから。
それだけ、祖父は寒くて仕方なかったのだ。
そんな祖父は、発明家の側面も持っていた。でも、残念ながらその発明は、いつも呆れるものばかりだった。
ある日、私は「ご飯できたよ」と声をかけるために、祖父の部屋へいった。
ドアをあけると、畳6畳の和室の壁にこたつヒーターがついている天板がくくりつけられ、オレンジ色のヒーターが灯りを灯していた。
それを見た時
火事になったらどうするんだ!!
という怒りと
なるほど、確かにこたつを壁にかけると、部屋全体がこたつの中みたいな状態になるのか!!
という、変に納得した私がいた。
その二つの気持ちが出るや否や、すぐに祖父の行動に呆れた。
犬小屋事件
祖父はある時、急に犬を買ってきた。
その犬はプードルだったので、ぷーちゃんという名前がつけられた。
先にも述べたように、私の祖父は発明家なのだ。
だから、ぷーちゃんにも犬小屋を作ってあげようとした。
木を買ってきて、大量の釘やネジを買ってきて、金槌やら、その他必要な機械を買ってきて、とにかく張り切って、犬小屋を作り始めた。
しかし、犬小屋は完成せずして終わった。
結局、祖父がどんな犬小屋を、作ろうと思ったのか?
それは、祖父にしかわからないことなのだが、祖父が途中で作るのを諦めた犬小屋の残骸を見ると、やっぱり祖父っぽいなと思った。
まず、壁となるであろう1面の板が、ネジ?で、いっぱいなのである。
これだけネジだらけだと、1面が重くてしかたない。
なぜ、これほどまでにネジを打つ必要があったのか?と、疑問に思い裏面を見てみた。
すると、こういう作りになっていた。
なんと手が込んでいることでしょう。これぞ、私の祖父だ。
しかし、なぜ、緑の網が必要だったのかは、未だ謎に包まれたままだ。
さて、私の祖父はこれを四枚作ったわけではない。
私が確認した限りだと、2面でギブアップして、犬小屋計画は失敗に終わっている。
しかし、そのもう一面はこれ以上に手が込んでいた。
もちろん、ネジはいっぱい打ってあるのだが、それ以上にこの面は、窓つきである。そして、窓の下には入り口(玄関)もある。
この窓枠には、何をはめようとしていたのか?そして、その下にある玄関には、扉をつけようとしていたのか?
これらは、未だ謎につつまれたままである。
ただ、ここで一番注目してもらいたいのは、この犬小屋が「北窓」であることだ!
北窓には、夏場涼しいというメリットがある。
きっと、祖父はぷーちゃんを思って、北窓にしてあげたかったのだろう。
ただし、この犬小屋は、家の中に置く予定であったはずなので、置く場合は必ず窓を北向きに置かないといけないというデメリットがある。
この点については、きっと、本人は気づいていなかったと思う。
ちなみにだが、この記事を執筆しながら、北窓について調べていたら、北窓が大きい家は、寒くならないという記事を見つけた。(la CASA Blog:北面の窓は、実は心地いい?暮らしを変える「窓」の話)
もしかしたら、祖父が北窓にしてあげたかった本当の理由は、「ぷーちゃんが寒くないように。」なのかもしれない。
しかし、もう本当の理由なんて分かりっこない。
ぷーちゃんの家づくりは、中途半端に残骸だけが残ったわけなのだが、私は、呆れるを通り越して、「ネジがいっぱいで重過ぎる壁」と「北窓」を作ろうとした祖父の発想には感心する。
祖父の塗り絵
祖父の武勇伝をあげようと思えば、次から次へと出てくるのだが、最後に一つだけ、素直に祖父の見えている世界に呆れたのではなく、尊敬したことを思い出したので、それをまとめとしたい。
それは、祖父の塗り絵である。
祖父はある時から老人ホームに通っていた。
頑固者で、周囲の言うことなんて一切聞かない祖父だったのが、ある時から老人ホームへ行くことには納得し、週に数回デイケアに通っていた。
そこでは色々な活動がある。みんなで楽しめるゲームをしたり、頭や手を使う手芸、折り紙をしたり、などなど。
そして、その活動の一つが、塗り絵であった。
そんな祖父の塗り絵は・・・
上手だった。
枠からはみ出ないように、丁寧に色が塗られ、とても綺麗に影がつけられていた。色にもグラデーションがついていた。いろんな色を混ぜながら表現をしていた。
それが初めて、私が祖父の才能を知り、心からすごいなと思った時だった。
祖父は本当に変わり者だった。
呆れる言動、行動が多かった。
それは、近所でも有名になるくらいだった。
そんな祖父を、やっと、私が心からすごいと思えたのは、祖父が亡くなった後だった。
祖父の塗り絵を見ていると、きっと祖父には「この世界の見え方がだいぶ違ったのかもしれないなぁ」という気持ちなってくる。
そんな思いに駆られながら、自分が冷たく接してしまった日々を後悔したのであった。
たった一言。
「じいちゃん、塗り絵上手だね。」
これだけでも、言ってあげれたらよかったのかもしれない。
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