観劇感想vol.37 俳優座劇場プロデュースNo.121『夜の来訪者』

ひさびさ俳優座です。
アマプラで見たことある映画の舞台版をされるとぴあで見つけたのでチケット買ってみたんですが、
どうやらこちらの作品そもそももともとイギリスの戯曲が原作で、ロンドンでの初演以来世界で公演が打たれ、日本でも1991年から300回近く上演していたそうですね。
全く存じ上げませんでした……
とは言うものの六本木でこの作品が見られるのは今回がもう最後だそうです。行けてよかった。
ちなみに原作は当然イギリスが舞台ですが、こちらの公演は昭和15年の日本に舞台を変えて作られた作品のもようです。

そんなわけで感想です。
個人の感想なので本来の演出意図と乖離した発言しているかもしれませんがご了承を。
あと一応、今回も感想にはめちゃくちゃにネタバレを含みます。

俳優座劇場プロデュースNo.121『夜の来訪者』

日時/場所
2024年9月12日(木)~15日(日)
東京 俳優座劇場


J・B・プリーストリィ

翻訳
内村直也

脚本
八木柊一郎

演出
西川信廣

キャスト
柴田義之
山崎美貴
尾身美詞
馬場太史
脇田康弘
有賀ひろみ
瀬戸口郁

昭和初期の富裕層らしいステキなしつらえの応接室がそのままのセットで大変豪華でした。ストーリー上適宜場転して回想シーンみたいなのが入るかと思いきや、本当にずっとその部屋で会話だけで話が繰り広げられるという硬派な構成。

最後は来訪者が本物の警察ではなかったとわかって、両親と婚約者は一安心してたのですが
その手のひら返した急な和やかな状況が、喜劇として観客にはウケを取ってたのが
映画版では作れない演出というか、ストーリーに対する別の見解の切り口というかんじがしましたね。
観客の反応で以て生まれた新たな視点というかんじがしました。
同じ話を別メディア展開するとこんな発見もあります。
いや映画でもこうだったのかもしれませんが……
でも多分ですが、ここを映画でやろうとすると、父親の「ほーら気にすることなかったじゃん」という空元気がこの後の展開へのフラグとして不穏に強調されるかんじになったとおもうんですが
舞台版だと、観客の反応も相俟って、全然反省してないどうしようもない金持ちというダメなキャラとしての可笑しみがフィーチャーされましたね。父親役の柴田さんのお芝居も多分どちらかというとそういう意図を意識されていたかも。
その姿もそれはそれでこの話のテーマ(?)としては合っていると思います。

それにしても、女性が実はそれぞれ別の女性で、各々が誰かを死に至らしめる酷いことを知らず行っているかもしれず
今もどこかで女性が死んでいるかも……という重めな話として〆るのかと思ったら
両親と婚約者にとってはそれが気が晴れる要因になったのは「あっそうなるの??」となりました。姉弟だけはちゃんとその点を受け止めて反省しておりましたが……
多分ストーリーの主題はそこでしょうしね。

時代設定が設定なだけに、全員口調が所謂昭和の育ちのいい紳士淑女のあの喋り方なのも
個人的には見ていて(聞いていて)かなり楽しかったです。
別の世界線の設定だというのがわかりやすく表れているお芝居は、やっぱり観劇の没入感が違っていいですね。
演者さんで印象に残ったのは、上にも書きましたがやっぱり父親役の柴田さんですね。
面倒な頑固親父、奥さんにやや詰められて狼狽するオッサン、反省のない傲慢な金持ちと
パートによって立ち位置は変わりつつ、総じて尊大で娘に甘い昭和の成功者感が凄かったです。
映画版の父親がどんな感じだったかちょっと失念しましたが、この人が登場人物に据えられるなら世界観が昭和の日本に変わったのはかなり面白くていい変化だなと思いました。

あと先述の通りセットが大変すてきだった。
下手側全面が窓になっていたのですが、客入り時は日没前の夕焼けのような陽光が差して、窓枠の陰が上手側の壁に映るもようがすごい綺麗でした。ラストの電話がくるところで雷(?)が鳴って、暗い部屋に立つ家族達が俄に照らされたりなど。
窓使う演出好きなんですよね……ワンシチュエーションだとどうしても絵面が単調になりますが、陽光で時間経過を表現したり、雨や雷の音や光を入れるかんじ
セットの向こうにないはずの外を創って演出に取り入れるのが個人的にめちゃ好きです。

時代に依らない普遍的なテーマというのもあり、長く愛される舞台というのも大変納得でした。
偶然ぴあで見つけたんですが見に行ってよかったです!

※俳優座劇場プロデュースNo.121『夜の来訪者』

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