遥か旅の記憶 1987.春④
いろいろな出会いがあったボルトガル。
出会った人はみんな親切で優しかった。
名残惜しい気持ちを残しつつ、
スペインへと列車の旅は続く。
①ガリシア地方の車窓から
前回のスペイン旅では行かなかった北西部ガリシア地方からカスティーリャ地方を目指すことにした。
車窓からの風景はどことなく日本の山間の風景と似ている。
途中、長めの停車中に運転手が客席にやって来た。
「運転席を見せてあげるよ。」
運転中の運転席に乗せてもらった。
途中、こちらを見て陽気に話しをするので「前を見ろ!」と思ったが、電車は運転中前を見なくても大丈夫なのだろうか?
ガリシア地方のスペイン人はおとなしく気難しいと聞いていたが、
そうでもない気さくなおじさんだった。
②宿の探し方
今回の旅では事前に宿を決めていなかった。(あのポルトガルでの第一泊目を除いては。)
行き先も日程も決めていないので、予約をすることは不可能だからだ。
毎回降り立った駅で宿探しが始まる。
ホテルは予算的に無理なので、PENSIONかHOSTALという民宿のような宿を探した。
駅を降りてふらふらと通りを歩きながら、目ぼしい宿を見つけては扉を叩く。
2ベッドルームの空きはあるか?
トイレとシャワーは?
一泊いくらか?
部屋を見せてほしい。
手当たり次第、部屋を見せてもらった。
清潔、安全、安い。という基準で選んで行くと、トイレとシャワーは共同という部屋になることが多かった。
連泊するからもう少しまけてほしいと値切ると、大抵少しおまけしてくれた。
部屋が決まると、チェックインまで時間がある場合は宿に荷物を預けて観光に出かけた。
駅が近いとチェックアウト後も宿に荷物を預けたまま、列車の到着時刻まで身軽に観光できて助かった。
③夏の短期留学の時の友達
前回の短期スペイン留学のホームステイ先のママの恋人の甥っ子、というちょっと複雑な関係のセセとはその後も手紙のやりとりが続いていた。
私達のホームステイ先の家族にとって、留学生のステイはあくまでビジネス。
必要最低限のお世話をすればおしまいと言ったドライな関係だったので、あまり良い印象はなかった。
そのような中でも当時高校生だったセセだけは、バジャドリにいる間、私達とよく遊んでくれた。
高校を卒業した彼は兵役中だが、今回の私達の旅行の時にはちょうど休暇で戻って来ているらしい。
そしてぜひバジャドリで会おう。ということになっていた。
④セセとの再会
待ち合わせ場所に現れたセセは、
2年前に会った少年のような人懐っこい高校生セセとは別人のようだった。
澄み切ったブルーの瞳は、憂いを含んだ思慮深いグリーンの瞳に変わっていたし、身長もグンと伸びて青年に進化していた。
何も変わっていない自分達が恥ずかしくなるほどだ。
彼は高校を卒業した後、兵役に行っているらしい。
服務が終了したら、大学に行くか就職するか考えると言っていた。
*スペインでは2001年に徴兵制が廃止された。
ユーレールパスでの列車の旅は、
ここからまだまだ続いていく。