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単純作業はお稽古事のよう
この数年間、色々なバイトをやってきて、その中でも特に単純作業が多かった。
レジ、色んな工場、引っ越し屋... ...
やっていて思うことがあるーー
「単純作業はお稽古事みたい」
例えばラインで流れてくるケーキにいちごを乗せる仕事。簡単だが最初はパニックする。
ライン早えぇぇ
あああ待っ待っ待って
あああ追いつかなぁぁい
あああ一個足りないィィィ
とラインのスピードに慣れるのに手いっぱい。
最初はとても無駄な動きが多い割に、効率が低い。
遅れないようにして、まだ目の前に流れてこないものを前のめりの姿勢でやって、腰を痛めたりとか。
しかし数時間、下手したら一日ずっと同じ仕事を繰り返すうちに、やがて、あんまり焦らず、力まなくても楽にラインに追いつける瞬間がやってくる。
しかし、まだ、終わらない。
求められる通り仕事をこなすことができた。
次は スムーズにできるか。
次は 呼吸を止めずにできるか。
次は 変な姿勢で体を痛めずにできるか。
次は 優雅で簡単そうにできるか。
... ...
修行が終わらない。
フェルデンクライスお爺さんが言うように、「不可能を可能に、可能を簡単に、簡単を優雅に」。
どんな仕事でも、最終的には仕事のやり方自体から、心の持ち方や体の使い方、そして周りとの関わり方に広がる。
今の私も、色んな意味でまだ遅くてぎこちない。
しかしこうやって見ると、ただの単純作業でも本当に稽古事みたい。
お稽古をしながら、お金を頂いている。
そう思ったある日は、突然目の前の仕事がとてもありがたく感じてくる。
以前はバイトに対してよく思い悩んでた。
何で大変な仕事ばっかりするんだよとか、もう本当にしんどくて嫌で疲れてて、毎日やめたいと思う時期もあった。
でも、生活のためや他の様々な理由で、
やめたくてもやめられない時がある。
そういう時は、少し視点を変えて見たら、心が楽になる。不満が減り、感謝や自分の仕事に対する誇りが湧いてくるかもしれない。
中国では「借事磨心」という言葉がある。
ある具体的な事を借りて、自分自身(心)を磨く、鍛錬するという意味。知識でではなく、体で体験すること。
生きること自体も、お稽古事のように思える。
呼吸、食べる、体を動かす、話す、寝る...何でも。
そして課題が次々と目の前に来て、修行が終わらない。
だから「プロセスを楽しむ」という気持ちを大事にして行きたいなと思う。
働きながらよくふと、断片的に考えてきたことが、突然言語化できるようになった。嬉しい。
(つまりよく気が散るってこと!笑)
たくさんの体験をさせてくれて、
ありがとう 🌺