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感情を自分都合で解釈すると起こる事。

「感情と共にある感覚を掴み、その感覚に合う言葉を見つける」
これが感情の感じ切りの第一歩であり、全てです。

が、とにかくこれが難しい。

その理由は、人はマイナスの感情から引き出された感覚を感じ続けることを嫌がり
その感覚をすぐに何とかしたい
この感覚から逃れたいと思うため
「感情と共ある感覚を掴む」というステップの時点で抵抗感を感じ、この段階で挫折してしまうからです。

でも、自分の感情に向き合う必要性を感じていているので、そのニーズを満たす為に手っ取り早くに負える方法として
「思考を使って自分の都合よく解釈する」もしくは「表面的に感じた感情を味わい続けるふりをする」を実践するわけです。

例えば、目の前で車同士の追突事故を目撃した時に
「巻き込まれなくてラッキーだった、私はいつも守られてるって事だよね」
「事故に気をつけろって教えてくれてるんだよね、安全運転でいこう」
「マイナス感情に目を向けたらダメ、良い事を思わなきゃ」

とか

「怖かったぁ・・・・、怖かった、怖かった、怖かった」
「ビックリした、ビックリした、ビックリした」

みたいな。

この方法は魂にとっては何の意味も無い割に
驚くほど劇的な変化を自分自身に与えてくれるため
これらの方法を実践すると、さっきまでの嫌な感覚はあっさり消え去り、あっという間にいい気分にさせてくれます。
この劇的な変化は人間のエゴにとっては超心地よいものゆえ、はこの方法にドハマりするのです。

この心地よさは違法ドラッグのようなものだと私は考えています。
その理由は
あっという間に心地よくさせてくれるけど
強烈な中毒性があり、止めたくても止められず
この方法を繰り返すと廃人(ここで言う廃人は身体的ではなく、魂の願いの実現から完全に遠ざかるという意味)になるからです。
それくらい実は怖いのが思考を使った解釈なのです。

そして、この方法にドハマりした人が正しい感情の感じ切りを実践しようと思っても、まぁ難しいです(言い方悪いですがドラッグ中毒状態なので)

の補足にもなりますが、このドハマり状態を抜け出すにも時間がとてもかかるのです。

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