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コツコツできるか、出来ないか?で出来る大きな差

感情の感じ切りに重要なコツは「コツコツできるか、出来ないか」です。

感覚の言語化は1日2日で出来ない、なんて当たり前で
たった一つのあの感覚に1年2年5年と向き合っても言語化しきれない、まだ足りない、なんてことはザラ。

また、一つの感覚を言語化できたかも、と思っても「その先がまだある」ことに数年後に気づいた、なんてこともある。

正直「できた」なんて一生言えないのかもしれない、と思うのが感情の感じ切り。

感情の感じ切りが本当にできている人は「できた」とか「できない」ではなく「感情の感じ切りの深さ」で感情の感じ切りを語らず
出来ていない人ほど「できた」「できている」で感情の感じ切りを語るのだと思います。

*     *

が、ほとんどの人はコツコツしているようで、自分が感じている感覚、体感を適当な言葉に当てはめ
その感覚、感情に至った背景を適当に解釈して「できた」とします。

なぜ、そうなるのか?
その理由は「早いし、簡単だし、頭で理解しやすいから」です。
またエゴ(未消化の感情、傷)に都合よい解釈が行われるため
根本的な自分を変えないで済むけれど、成長した気がする、という何とも言えない現実が起こります。

それもそれで学びの一つの過程なので、魂の声を正しく聞く前には「必ず通る道」なので、この段階にいるのは正解ではあるのですが
※こここはここで、様々な課題がある。

問題は「私はできた」というプライドが根付いてしまい、
そのプライドを壊すことが出来ずに、自ら魂の声を聞かなかったことにして、エゴの満足のために生きることを選んでしまう。
魂の声を聞く過程から離脱してしまう、という事が起こります。

*     *

昨日、身体感覚の教室に行っていて、先生が
「なんで〇〇(地域名)のお手当の受講生が残る率が高いのか?ってほかの地域から聞かれる」と。

他の地域は講座に20名参加しても、鍛錬を続けるのが1人くらいだそうで
他の人は受講後にすぐに、仕事で使ったりし始めるそうです。

私が受けた時は5名と少数だったのですが、そこから定期的にお手当の鍛錬を続けているのは3名。
確かに割合は高い。

なぜ、このようなことが起こるのか?というは話になり
「やっぱり、手技を習ったから出来る、出来てるって思っちゃう人が圧倒的に多いんだよねー。
お手当はシンプルだから覚えたら出来るって思っちゃう。」と先生。

ああ、どこの世界も本当に同じなんだ、と改めて感じました。

お手当の手技は本当にシンプル。
よくみっちゃん先生はここまでシンプルにしたな、と思うほどにシンプル
でも、様々な手技を統合しては要らないものをそぎ落としたからこそ、一つ一つの工程の意味は深い。
だからこそ、一つ一つの工程をおざなりにすることは出来ない。

お手当に必要な手技は8工程ほど。
たった8工程なので、覚えてしまえば確かにいいのかもしれないけど
でも、手技を覚えているのと「できる」のとでは全く違う。

お手当はとにかく、施術者側が自分の心地よさを追求する事が求められます。
自分の心地よさ、呼吸の楽さ、自分にどれだけ意識が向いているか?
一つ一つの工程に対して、どれだけ真摯に出来るのか?が施術の質にダイレクトの影響する。

また、お手当の場、おさらい会の場と「家でやる」のとは本当に違う。
同じ工程をすればいいだけなのに、まぁ家では出来ない。
※私個人の段階の話です。

その理由は「私が場を作ることが出来ない」
だから、相手に引っ張られお手当をする場を自分で作れない。

今まで、おさらい会で施術していてみんな寝たり、反応が起きていたのは私のお手当が上手になったんじゃない
先生が常に場を作り、私たちの心が安定するよう、お手当が出来るようにしてくれていたから。

改めて「できる」の意味の深さを先生との雑談の中で思ったのでした。

*      *

感情の感じ切りの過程は自己鍛錬の道でもある、と思います。
まさに魂の修行による成長を自ら起こすこと。
自分に対しての終わりなき探求心が原動力かも。

この奥深さに共感される方、興味を持たれる方が増えたらいいな~~って思ってます。

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