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Movie with Fashion 「Martin Margiela : In His Own Words」


Martin Margiela

マルタン・マルジェラについて
MARTIN MARGIELA

1957年
ベルギーのルーヴェンで、イタリアにルーツを持つポーランド人の父親とベルギー人の母親のもとに生まれる。

1976~1980年
アントワープ王立芸術学院で学ぶ。

1980年
ミラノのファッション会社に勤務。

1982年
ベルギーの会社のスポーツウェアをデザインする。また雑誌にイラストを描く。

1983年
ベルギーで開催されたゴールデン・スピンドル賞のおかげで、初めての2つのコレクションを企画。この賞の審査員には、ジェニー・メイレンスとジャン=ポール・ゴルチエが名を連ねていた。

1984年
ジャン=ポール・ゴルチエのアシスタントに就任。

1988年
ジェニー・メイレンスの支援を受けて、メゾン・マルタン・マルジェラを創設。
初のファッションショーを開催。

1989年
第1回アンダム・ファッション アワード(フランス国立モード芸術開発協会主催)で最優秀ファッション・デザイナー賞を受賞。

1990年
アンダム賞の賞金でカンパニーをパリのサン=ドニ通りに移転し、“アトリエ・アーティザナル”をオープン。

1991年
ガリエラ美術館で初のコレクティブ・エキシビジョンを開催。

1994年
ヴィンテージの素材を使った初のシリーズを発表し、“レプリカ”と名付ける。メゾンをパサージュ・ルエルにある600平方メートルのビルに移転。

1997年
“6”と名付けた新しいベーシックス・ラインを始動。このラインは後に“MM6”と改名される(2004年)。ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館が、初のメゾン マルタン マルジェラの回顧展を企画。またはエルメスのウィメンズプレタポルテ部門のアートディレクターに指名される。

1998年
ライン“10”(メンズ用ウェア)を発表。またメゾン マルタン マルジェラの象徴ともいえる有名な白いタグが(フランス)産業財産庁によって登録された。

1999年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをフォーブール・ポワッソニエール通りに移転。

2002年
メゾン マルタン マルジェラのブティックを東京・恵比寿、ブリュッセル、パリにオープン。イタリアのOTBグループ(代表:レンツォ・ロッソ)がカンパニーを取得。ジェニー・メイレンスが引退。

2004年
メゾン マルタン マルジェラのオフィスとスタジオをリュ・サン=モールに移転。

2005年
アクセサリーライン“11”とシューズライン“22”を発表。

2006年
“アーティザナル・コレクション”が別のラインになり、パリのオートクチュール・プレゼンテーション・カレンダーに加わる。

2007年
マルタン・マルジェラがOTBからの離脱を表明。

2008年
9月29日のメゾン マルタン マルジェラの20周年を記念するショーで、マルタン・マルジェラがハウスを離脱。

https://www.uplink.co.jp/margiela/


ファッションが好きな人達にとって
彼なしではファッションについて語れないのではと思うくらいのデザイナーだ。
そしてベルギーのアントワープ王立芸術学院はファッションを学んでいた大学時代から私の憧れの学校だった。



デザイナーはショーのあとにさくっと出てきて挨拶する人が多いけれどマルジェラは一切出てこない。

私は創り出されるコンセプトと世界観、クリエィションだけで圧倒された。

彼自身の声によって語られるエピソードの数々はとても興味深い。
引退して16年たった今でも…
いやむしろ今だからこそ私の中に深く響くのかもしれない。


余談
ちなみにマルジェラ以外でクリエィションにかなりの衝撃をうけた方たちはこちら。


ALEXANDER McQUEEN
川久保怜
Hussein Chalayan



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