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台湾2018 夏の旅 4
台湾は日清戦争以降、大日本帝国の治世下にあった。
併合当初は清帝国が「化外の地」と呼ぶほどの、見下した土地柄であり、この土地を文明化するのに大日本はかなりの投資を行った。
明治政府の根幹となるのは、五箇条の御誓文である。
まずは教育と医療を整えることから始まった。
この新領土を大日本は植民地とはせずに平等な国家の一部として捉えたが、上陸した日本人に対して当時は激しい抵抗があった。
芝山巌事件というものがあり、抗日ゲリラによって日本人教師が惨殺された。最年長の教師は吉田松陰の甥にあたるし、最年少はまだ数え歳で17歳という若者だった。かれらは「日本人の首を取れば賞金が出る」という風聞に踊らされた暴徒から逃げず、説得を続けたが最期には殺害された。
この事件で落命した彼らは六士先生として今でも尊敬されている。
そして医療において併合後すぐに総合病院を建設した。
台湾総督病院として医療現場の先端となる。今も台湾大学医学部付属病院として営々と中正区に存在する。
そう。
かつての私たちの国家の原型が、この台湾には残されている。
明治村で見たような建物が、ここでは血肉が行き渡っている。
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この中正区というのは行政の中心であり、歴史的な建築が多い。
中正とは初代総督の蒋介石の本名であり、彼の顕彰施設である紀念堂を訪問した。中華の文脈に類する大規模な広場を有し、歩を進めてもなかなか辿り着けない。
長大な階段を上り、本営につくと巨大な像が鎮座し、儀仗兵がそこを警護している。儀仗兵は単位時間で交代するので、暫くの滞在がおススメです。
観光客的に映えます。
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かつての台湾総督府が、総統府として健在です。
威風堂々と、中華民国国旗がはためいています。
空襲に合わなければ、東京もこういう建物が残っていたと思うと。
それをいうならば郷里の長崎で、あの原爆投下さえなかったら、どれほどの瀟洒な洋館が居並んでいたかと思うとやるせない。
先人たちの足跡が、異国に残っているとは何とも言えないものがあります。
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