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武田作品解説シリーズ4「霊域の魔女」

4.霊域の魔女(2013年)

 私はもちろん短詩も作るが、基本的には長編詩を主として作っている。だからこのシリーズでも、取り上げる作品は長編詩に限定している(長編詩の定義が明確にあるわけではないので、どれくらいのものから長編詩になるかは曖昧であるが)。
 今回取り上げる作品は、前回の「恩恵と収穫」よりも前に作られたものとなり、作風も古風で硬い印象がある。キリスト教を基盤にして作られた「霊域の魔女」ではあるが、神秘学の要素もふんだんに盛り込まれているため、内容理解も困難である。未来的なことを過去のスタイルで描いた、と言えばいいのかもしれない。
 劇詩として作られた「霊域の魔女」は、古典的な秘儀参入からキリスト的な愛までを、ひとりの人間の成長物語として描いている。主人公は男性であり、彼を導く魔女を女性として登場させてはいるが、この性別は決して肉体的性別を表しているわけではない。これは私の作品全体に言える重要なことであるが、登場人物の性別は、男性性、もしくは女性性の象徴である。つまり、作中に出てくる性別そのものがひとつの象徴として作品内で意味を持つ。登場人物に振り分けられた性別は、その性別でしか語れない必然性を持っている。肉体的な性別が男であれ女であれ、人間の内には等しく男性性と女性性が存在しており、それらは各々の役割を持っている(男性性、女性性という呼び名が適切であるかどうかはともかく)。その役割が、作中の世界でどのように動くのかは、決して地上世界で語られる「男と女」と同じではない。私の作品における男は「本当の名」であり、女は「言葉」である。
 さて、「霊域の魔女」であるが、この種類の詩が、果たして現代においてどのような必要性を持つのかについてはよく分からない。だがそれでも、「霊域の魔女」全体を構成する力強い言葉運びは、読み手の内に人間存在としてのある可能性への感情を呼び起こすことができるだろう。それは純粋にして淀んでいる。そして後半では悪の存在が大きく描かれ、ここでは、読み手は地上世界を生きる上でのある矛盾した感情を抱くだろう。
 何度も言うが、詩は体験である。頭での理解は詩を読んだとは言えない。「霊域の魔女」は、最初から最後まで、この「頭での理解」を拒み続けることだろう。流れるリズムとイメージがもたらす感情に浸ることで、「霊域の魔女」はひとつの生命として読み手の内で活動する。それは、作者の私ではない。私の体験でもない。人類が目指している、願いと憧れ、そこへの意志である。

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