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本来の私 プルシャとプラクリティ

見えているものだけが真実とは限らない。

口に出す言葉だけが真実とは限らない。

それらと同じで
思い浮かんだ考えさえも真実とは限られない。

ヨガの考え方(インドの哲学)に
「プルシャ」と「プラクリティ」
というものがあります。

「プルシャ」とは「真我」
本来の私、本当の私です。

それに対して
「プラクリティ」は「根本原質」
私(だと思っている)が、自覚している心や体。
感覚や体感。目に見える世界。
絶対的なものではなく相対的に捉えられるものです。

 

“この冷静で穏やかなのが本来の私。 あのジタバタしてるのは 本来のわたしのために 戦っていてくれてるのかな。”

7月22日のNOTEより

先週書いた 暑さに対して
冷静で穏やかなのが「プルシャ」
ジタバタ戦っているのが「プラクリティ」です。


観察者(プルシャ)
と演技者(プラクリティ)として説明されることもあります。

私たちは生きて生活しているので
腹が立つことも、悲しい事も、楽しいこともあります。

それは仕方がない事です。

でもその感情はずっと続きません。

今悲しんでいたとしても、
私はずっと悲しい不幸な人ではなく

今楽しい事があっても
私は楽しんでばかりではありません。

それは
今生活しているこの舞台で起きているだけのことです

いつまでも舞台で演技していないで
観察してるのが私だという事を思い出してみましょう。


そうしたら
悲しみに浸ることもなく
幸福を手放す恐ろしさもなくなり

そこにあるのは
本当の意味での幸せだけになります。

そうはいっても
なかなか
そんな境地にはいたりません。

でも
どんなつらいときでも
冷静に見ることが出来たら

少しはその辛さが軽減します。

時々でも
そのことを思い出して
静かに
自分の感情に向き合える時間が増えればいいなあと思います。


(ヨガのアサナは自分に集中して観察する練習になります)

でもね
やっぱり難しい。

難しいからこそ
この考え方が生まれてきたんですよね。

まあ
思いっきり
舞台上で暴れてやったらいいと思います。
疲れたら
舞台からおりてくればいいのです。
決して舞台では倒れないで
舞台から降りることもできるということを思い出してください。

本当の居場所は舞台ではないのです。





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