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『アフター・ヤン』が描く未来の家族と喪失の物語

あまりにも『トップガン マーヴェリック』の話ばかりしていたので、友達に「映画観に行った」というと「またトップガン?」と言われるようになった。
だけど、私だってトップガン以外の映画をちゃんと観ている。SAOも行ったし(これはお付き合い的なもので行ったので、自分の意志で行ったわけじゃないけど)今回ネタにする『アフター・ヤン』も観たし。
まぁ、その後『トップガン マーヴェリック』も観たんだけど。(台無し)

『アフター・ヤン』は、突然壊れてしまった「テクノ」と呼ばれるアンドロイド・ヤンの記憶をたどる物語です。
観終わっても、予告編で知るあらすじ以上のものが出てこない。なので、感動ドラマを期待して観ると、肩透かしをくらう映画だと思う。
私も、エンドロールが始まった時、「え、ここで終わり??」ってなった。
逆に言えば、無意識にそれくらい映画の世界に入り込んでいて、それが突然終わった(ように感じた)ので、戸惑ってしまったというか。
近未来の話なのに、地に足をつけて歩くような存在感がある映画だった。

以下、ネタバレ有り感想です。OKな方はスクロールしてくださいね。



















まぁ、壊れたアンドロイド、っていう設定で私が釣られないわけがなかったんですよね!(ボカロ沼に浸かっていた頃からの性癖案件)

タイトルのとおり、この話は「アフター」なんですよ。ヤンが壊れてしまった後の物語。
ヤンが元気(?)だったのは本当に冒頭だけで、ややシュールなファミリーダンスバトル(急に始まる)が終わったと思ったら、次のシーンではもう壊れている。
白人のお父さんと黒人のお母さん、そして中国人系の養女ミカ、という多様性の見本市のような家族。
そして、両親がミカに自分のルーツである中国のことを学ばせようと思って、中古で買ってきたアジア人系の見た目をした『テクノ』と呼ばれるアンドロイドのヤン。
ミカはヤンになついて「グァグァ(兄さん)」と呼び、ヤンもミカを「マイマイ(妹)」と呼ぶ。
それなのに、突然壊れる。動かなくなる。
父親はヤンを修理すべく奔走し、やがてヤンの中に特殊な記録装置が取り付けられていたことを知る。
ヤンは修理できないが、記憶を見ることはできる。そして、ヤンの記憶をたどりながら、家族の思い出、そしてヤンが家族にはある女の子の記憶を見ることになる。

断片的なヤンの記憶を見て、ヤンが度々会っていたと思しき親し気な女の子の存在を知る父親。ヤンの記憶を頼りに女の子を探し出す。

女の子はエイダという名前で、ヤンは『テクノ』でありながら彼女に会うために勤め先のカフェに通っていた。アオハルか??

エイダは『クローン』。この世界、アンドロイドだけではなくクローンもいるのである。そしてこれは結構重要な伏線である。

話が進むうちに、ほぼ新品に近い中古と聞いて購入したはずのヤンが、実は結構な年数を稼働してきた個体だということがわかってくる。

エイダのクローン元、エイダの大叔母にあたる『エイダ』が若くして亡くなったことを、圧縮されていたヤンの記憶の奥底からすくいあげる。

つまり、ヤンは過去の主人の元で出会った『エイダ』の面影を、クローンのエイダに見ていた、ということだろう。

それがヤンに生まれた恋心なのか、それとも人間によりそうようにできているプログラムゆえなのか、作中ではっきりと明示されることはない。

ヤンは、もう動かない。ヤンが人間にあたたかな眼差しを向け、それを記録し続けていたことは、彼が壊れたからこそ知ることができたもの。彼の修理が不可能になった今、その記憶をどれだけ愛しく思ってもヤンに伝わることはない。

修理不可能な故障は、アンドロイドの死だ。ヤンは死んでしまったのだ。

ヤンの記録装置を見られるようにしてくれた研究者は、ヤンが残した記録を「学術的な発見」として、ヤンのボディと記憶を博物館に展示しようとする。ヤンのことを「テクノ」という道具としてみているからだ。

母親はヤンの次となるテクノを購入するのはやめようという。ヤンの代わりになれる存在はいないからだ。

父親はヤンの記憶を見て、ヤンを博物館に展示したくないと言う。ヤンのことは家族と思っているからだ。

ミカはヤンに教えてもらった歌を歌う。アイワナビー。「私は~になりたい」。

壊れる前、ヤンが養女であるミカに、リンゴの接ぎ木を見せて血縁がなくてもひとつの家族になれることを教えるシーンがある。

リンゴの果実は少しも出ていないのに、妙に印象に残るシーンだった。ルーツがバラバラで、血縁のない家族だが、ミカの家族は接ぎ木のようにひとつの家族として成立している。

ヤンは、「有がなければ無もない」とも言う。いずれ自分が「無」になるのを予見していたかのようだ。

ミカが歌う曲で、この映画のエンディング曲でもある『グライド』は、日本映画『リリィ・シュシュのすべて』で使われていたテーマ曲。

英語曲だが、歌詞の訳は字幕で出てくる。

メロディになりたい。空になりたい。海になりたい。風になりたい。

そんな「アイワナビー」を繰り返す歌。

ヤンは果たして何になりたかったのだろうか。家族にはすでになっていた。「人間になりたい」とは彼は考えなかった気がするな。

高度に発達したAIは、人間になりたいとは思わない気がする。ただ人間と共にありたいと思うのではないだろうか。基本的には、人間のために作られた人間のためのロボットだから、アイデンティティを覆すような反乱はしない気がするな。少なくともアフター・ヤンの世界ではそう。

ところで、どうでもいい好きポイントですが、父親役のコリン・ファレルがめちゃくちゃ上手い箸使いでラーメンを食べているシーンがお気に入りです。未来にもラーメンがある。


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