【前編】顔面が麻痺したー症状編
前回の投稿で鬱状態にしばらく落ちていたというご報告をしましたが、実はあの後、右顔面が完全に動かなくなる「顔面神経麻痺」を患い、更に深い二番底まで落ち込んでおりました。
本当に辛い体験でしたし、1ヶ月たった現在も70%程度の回復状況です。
でも、生き方への考えを根底からひっくり返されるように強烈な、でも私が経験すべく課せられた出来事だったのだと、今は感じています。
※あまりにも長くなってしまったので、前編後編にわけました。後編「こころ編」はこちら。
朝起きたら、顔の半分が垂れ下がっていた
7月1日の朝。鏡を覗き込んだら、変わり果てた自分の顔が写っていました。
前日から、右目がやけに乾いたり、鼻の下を伸ばすと左側に引っ張れたり、何かがおかしいと気にかかっていたのですが、
そこにあったのは、左半分の顔面はなんともないのに、右側の目や口の端だけが、重力に引っ張られるまま垂れ下がった顔。
可動域も極端に限定され、特に右の小鼻は動かそうとしてもピクリとも動かない。眉も低い位置で硬直して、右側の額だけが蝋人形のように不自然にぴんと張っている。
私の顔に何か大変なことが起こっている…!
恐怖におののきながらすぐに病院に向かい、耳鼻科で採血、味覚異常の検査、脳のMRIを受けたのですが、そうしている間に症状はみるみる悪化し、しまいには麻痺した側の瞼が閉じなくなっていました。
診断の結果は「顔面神経麻痺」。
血液検査の結果で入院は免れたものの、もう少し時間が経たないと正確な原因がわからないということで、
半月以上後の顔面神経専門医の診察の日まで、ステロイドなどを服用して様子をみることになりました。
「完治までは半年ほどかかると思われますが、9割の人は治りますよ。」
そう言われて少し安堵して帰宅したものの、本当に大変だったのはここからでした。
日々醜く悪化し続ける症状
診察の際に、お医者さんから
「ステロイドの服用が始まってもいったん症状がすべて出切るため悪化しますので、それだけは覚悟しておいてください」
と告げられ、勝手に2、3日くらいのものだろうと甘く見積もっていたら、実際には半月以上、毎日悪化し続けました。
朝起きるたびに
「今日こそ少しでも良くなっているのではないか」
と鏡に向かうも、毎日期待を裏切られる。
麻痺した側の顔はますます硬直して腫れぼったくなり、重力に従って垂れ下がる。
鏡の中にあるのは、半分も開かず不自然に涙がたまってどろんと濁った目。あっかんべーをしたときのようにだらりと垂れ下がった下瞼と目尻。
不自然に左側に引っ張られてねじ曲がった鼻の下の線。
嘴のようにとんがって左側に突き出した上唇。
自分でも直視できないあまりの醜さに号泣するも、麻痺した側の動かないまぶたの中で剥き出しになった眼球だけがぐるんぐるんと回転し、動く方の唇だけが細く引っ張られて、「うおんうおん」という自分で聞くのもおぞましい嗚咽になる。
その顔を想像して自分でも寒気がするほどでした。
瞼も動かないため、瞬きもまともに出来ない。
そのままでは眼球が傷ついてしまうので、寝るときは、映画などでよくある死んだ人の瞼を閉じるシーンのように、力が抜けてふにゃふにゃになった瞼を指で下ろして眠りにつきました。
それでも夜中に開いてしまうので、しばらくは包帯を眼帯のように目にテープで貼り付け、強制的に瞼を閉じるようにしていました。
また、化粧はおろか、洗顔もまともにできなくなりました。瞼から全てが入ってきてしまうので、片手でまぶたを押さえながら少しずつ場所をずらして洗わなければならない。
しかし、一番私を打ちのめしたのは口の麻痺でした。
半分しか開かないので、うまく話せない、ご飯がまともに食べられない。
特に食事の瞬間は、
小さなスプーンで口に入れるのがやっとなことに絶望し、
上下の唇がうまく重ならないのでボロボロと食べ物がこぼれることに絶望し、
ストローでしか液体を飲めないことに絶望し、
目の端に映る嘴のようなとんがった唇に絶望し、
惨めな現実と対峙する苦行のような時間となりました。
お医者さんからは
「ステロイドは食欲を増進させるので、食べ過ぎに注意してくださいね」
と言われていたものの、そもそも食欲自体がわかず、みるみる体重が落ちていきました。
初めてのステロイド
地獄の二週間
発病して数日後には、もともと私も行くはずだったドバイ旅行とラスベガスでの仕事に旦那が旅立ち、
(一緒にいてもらってもしてもらうことがないし、お金も無駄になってしまうから、ぜひ現地から楽しい報告を送って欲しいと私が説得し、実際一緒に行かれた方とともに楽しい写真を毎日送ってくれました)
そうして一人になると、悪化し続ける症状に、「自分は治らない方の1割かもしれない。」と後ろ向きな考えにとらわれるようになりました。
しかも「かなりの量の処方になりますので、同意書への署名をお願いします」
とまで告げられたステロイドの服用が終わった後も症状は悪化の一途で、
もしかしたら私にはもっと必要だったのではないか、
次の通院日はかなり先なのに、それまでに何か手を打たないと手遅れになってしまうかもしれない、
とパニックになり始めました。
しまいには耳のあちこちに帯状の鋭い痛みを伴う吹き出物ができはじめ、痛みのために右側を下にして寝ることもできなくなりました。
なんでこんなことになっちゃったんだ。
もっと体を大事にしてあげてたら。
雑誌でも映画でもネットでもみんな笑っていて、世の中のほとんどの人が当たり前に自然に笑顔を作れるのに、もう私には出来ない。
笑えるって、なんて貴重なすごいことだったんだろう。
でももう後悔しても遅いんだ。
もう私は二度と笑えないかもしれない。
発病して最初の3日ほどは、
「9割の人は回復しているし、これを精神鍛錬の修行期間だと思って、マインドフルネスを勉強しながらゆっくり過ごそう!」
と鷹揚に構えていたのですが、
毎日悪化していく中で、あっという間にこの余裕は木っ端微塵に吹き飛び、絶望にまみれることになりました。
しかもステロイドを服用していた期間中、
「免疫力が落ちるので、人の多いところには行かないように」
と言い渡されていたため、それまで日課にしていた散歩もやめ、しばらく一人で家に閉じこもることになったことも、精神状態を加速的に悪化させました。
夜になると、闇に飲み込まれるような妄想で眠れなくなり、煌々と電気をつけた中でひたすらipadで海外ドラマを見続けて頭と心を麻痺させて過ごす。
日中は明るい光の中で、薬の服用のために最低限のご飯を食べに起きる以外は、この現実を忘れるためにただひたすら昏々と眠る。
そのうち1日の区切りも溶けて、
もう今日が何曜日なのか、発病して何日目なのかもわからなくなり、
締め切って真空状態になった部屋の中で、ただ過ぎていくだけの時間を無気力に眺めながら、
こうして精神って崩壊していくのかなあとぼんやり考えていました。
今思い出してもこの二週間は本当に地獄でした。
「軽傷」の診断
しかし、この地獄のような日々は突然終わりを迎えました。
発病して半月後の顔面神経専門医の診断の日、
私はまず検査室に通され、電極を顔面の半分ずつに付けて電気を流して反応を調べる検査を受けました。
相変わらず硬直した顔面。
どうせ動かないだろう、と諦めの気持ちで座っていると、麻痺した側が弱いながらもビクッと反応しました。
「よかったですね!全く反応しない方もいるんです。正直私もほっとしました」
検査技師さんの言葉に、…もしかしてちゃんと治るのかも、いや、でもまだ期待して喜んじゃだめだ、そうはやる気持ちを必死に抑えながら、その後の専門医の診察を待ちました。
そうしていよいよ名前を呼ばれて部屋に入ると、
パソコンの画面からくるりと椅子を回転させてこちらに笑顔で向き直ったお医者さんの口から出たのは、
「澤さん、よかったですね。顔面神経麻痺の中では軽傷です。
これなら1、2ヶ月で治りますよ」
の言葉でした。
右顔面は相変わらず垂れ下がってカチカチのままでしたが、目の前の視界がぱあーっと開けていくような感覚がありました。
私の顔面神経は生きてた!
また笑える日が来る!
しかも当初の予定よりはるかに早く!
また人と馬鹿話をして笑ったりできる!
化粧もできる!
化粧は面倒だと時々思っていたけれど、ちゃんと化粧をして、おしゃれをして出掛けられるって、どんなに素晴らしいことだったんだろう!
もう当たり前なことを当たり前のことだなんて絶対に思わない!
この喜びは一生忘れないし、忘れちゃいけない!
あまりにも嬉しくて、診察室を出るとすぐに、マスクで顔が隠れているのをいいことに大泣きしながら、心配してくださっていた方々にご報告のメッセージを送りました。
そして、不思議なことに、その日の夜から、急に顔面のこわばりがとれはじめ、驚くほど回復しはじめました。
流した電気がよい刺激になったのか、メンタル面が大きかったのかはわかりません。
でもきっと「希望と安堵」という特効薬を処方されたメンタルが大きかったのだろうと思います。
もしかしたら、あの地獄の二週間に、私がきちんと心を落ち着かせて毎日を過ごしていたら、もう少し早く折り返し地点が来ていたのかもしれません。
でも、家系的に特異な体質があったりで、もしかしたら一生このままなのかもという絶望に苛まれたこともあり、思い返してもやっぱり無理でした。
とりあえずあの時期をなんとか乗り切ったことだけでも褒めてあげよう。
よく頑張った、私。
しばらく我が家で預かっているこの猫が、闘病を見守ってくれていました
顔面麻痺をひきおこしたもの
「ラムゼイハント症候群」という病名を告げられたこの直接の原因となったのは、「帯状疱疹ウイルス」でした。
小さい頃に水ぼうそうを起こしたウイルスが、
普段はおとなしく体に同居しているのに、免疫力が落ちた体内で暴れはじめ、顔面神経の管に中に入り込んで炎症を起こし、そうして麻痺が起こったとのことでした。
可能性を疑われた2種類のウイルスのうち、
帯状疱疹ウイルスは治療が大変な、後遺症が残る可能性もあったり重篤になりやすい方のウイルスだったそうで、
それでいて軽傷だったのは、どうやら不幸中の幸いだったようです。
(これ以外にも「ベル麻痺」という原因不明の顔面麻痺もあるようです。ただ、受け売りの知識ですので間違っているかもしれません)。
しかし一番の原因は、まさにストレスでした。
今年に入ってから、クラウドファンディングと同時並行で3月の「国際幸福芸術祭」での3体のKESHIN制作、
そしてそれが一段落したあとも、ワークショップや制作のお仕事などで、
徹夜を繰り返し、睡眠時間が極端に少ない生活を送っていました。
左端の鳩2体と、右端のエジプトの豊穣の女神イシスのKESHIN を、「国際幸福芸術祭」というイベント用に新しく制作しました
普段なら体に負担がかかった時点で必ず風邪をひくのに、今年はそんな気配すらなかったので、
「丈夫になったんだなあ私」
と呑気に考えていたら、なんのことはない、
1月末にそれまで続けていたバイトを辞め、会社や電車で菌やウイルスにさらされる機会が減っていただけでした。
むしろこれまでは、定期的に風邪をひくことで、
「そろそろやばいよ」
と警告してくれていた体がシグナルを送る機会を失い、結果的にこんな病気にまで育ててしまうことになってしまったのでした。
後編は下記からどうぞ。