澤村の自己紹介 "Connecting the dots" 幼少期編
平成生まれのほぼトップ
私は1989年1月に神奈川県横浜市に生まれた。同世代の方はすでにお気づきかもしれないが、1989年1月は昭和生まれと平成生まれが混在している。私は1月7日以降の生まれなので、平成生まれのほぼトップにいる。就職した際に平成生まれと伝えると、「もうそういう世代が入ってきたのか」と言われ続けた。今、自分が娘の生年月日を見るときの感覚もこれに近いのかもしれない。また横浜市というと都会のイメージもあるかもしれないが、横浜にもいろいろある。私は横浜のチベット出身である。以前マツコデラックスさんが「中区と西区しか横浜とは言わない」と言っていたが、そうだと思う。幼稚園を卒園するまでで、聞いたことと覚えていることをまとめていく。きっとこの中に、今の自分を形作るものがある。
人間の表と裏
保育園には行かず、4歳になる学年から幼稚園に行き始めた。家の中では頑固で、気に入らないことがあるとよく大声で泣く子だったそうだ。祖母によると、家族以外の人たちと接する環境ではどちらかと言うと自分の感情を押し殺すことが多かったとのこと。外ではある程度ちゃんとして自分を守るタイプだったようだ。人に何か言われると素直に聞いたり、裏を返せばその言葉を気にし過ぎてしまう。良くも悪くも今の自分に確実に存在する性質だと思われる。
ミーハーな部分
体を動かすことや走り回ることが大好きで、家の中を従兄弟と走り回っているときに柱の角に頭をぶつけて怪我を負うこともあった。おかげで今もおでこに傷が残っている。幼稚園に行ってもそれは変わらず、ドッジボールにハマったり、Jリーグ開幕のブームに乗っかりサッカーを始めた。当時はヴェルディとマリノスの両方のファンだった。家族がスポーツ好き(観戦するのが)なので、こうなった部分もあると思う。自分の技術力は全く高くないにも関わらず、仕事でもずっとスポーツと共に歩んできている。
悟空よりもピッコロ
もう一つハマっていたことはドラゴンボールだ。フジテレビで毎週夕方に放送していたこともあり、友達と本気でかめはめ波がいつか出せると信じていた。もちろん悟空は大好きなのだが、それ以上にベジータやピッコロに惹かれていた気がする。完全なる善として描かれる者よりも、心にグラデーションを抱える者に心惹かれていたのかもしれない。また周りが異論なく好きなマジョリティーなものよりも、どこか自分の色を出したいと幼稚園児なりに考えていたのか。今考えればベジータもピッコロもほぼ主人公のようなものなのだが…。こんな性質も持っているせいか、人生でも自分の周りのマジョリティーが歩むものとは違うタイプの道を歩んでいる気はする。
渋い幼稚園児?
あと細々したことで言えば、祖父と仁王像について調べるのが好きだったり、「生き物地球紀行」という番組をよく見て出てきた動物を図鑑で調べたりしていたそうだ。幼稚園児としては少し風変わりな関心であるが、自分の目に入ってきて関心が湧いたものを何かしらで突き詰めようとしていたのだろう。幼少期以降を振り返っても何かにパッと飛びついたり、何かをまずは試してみるということは割とやってきたと思う。
「三つ子の魂百まで」と言うが、ことわざが持つ普遍性はバカにはできない。人間の根本の性質は大きくは変わらないのだろう。教育に13年携わって感じるが、「人を変えようとすること」は無理だと思う。人は自然と変わっていくものであり、未来の自分と今の自分を打算的に繋ぐことはできない。スティーブ・ジョブズの"Connecting the dots"が意味する通り、振り返った時にしか因果は分からない。この人生の言語化の力をとても感じているので、引き続きやっていく。