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「誰のおかげで」問題。

10月27日 衆議院議員選挙投票日ですね
いろんな形で様々な選挙に関わってきましたが
毎回 感じていることを綴っていきますね

立候補者はそれぞれに
自分の主張を訴え続け 必死に支持をお願いする日々
長い長い戦いだったと思います
立候補者はもちろん 支持者の方も懸命なんですよね

選挙には
公職選挙法がありますので
ちゃんとしたルールがあります
例としては
投票日の本日は選挙活動ができませんので
候補者への投票依頼は犯罪となりますので
気をつける点です(もちろん LINEや電話でもNG)

投票に行ってくださいね
とは言えるのかもしれませんが

まー 選挙期間中でも
支持者のお願いの仕方がいろいろあるんだなぁと感じることもあります

わたしとしては
ただただ お願いします
というしかないのですが

よく聞くのは
「誰のおかげで・・・」
というパターン

出ました
昭和的なセリフですね

令和の時代はこれは
まさに「モラハラ」に近い

わたしは昭和生まれ育ちですから
よく親に
「誰のおかげで飯食っていると思っているんだ」
と言われたものですが
確かに それは事実ですが
親は子を養う義務はあるものではないだろうか
と内心わたしは思う日々

こども心に
自分が親になったら
絶対に言わないようにしたいと思ったものだ

誰のおかげで・・・
という言葉はどのような心理で出てくるのか
考えてみた

もし自分なら

脅威を感じた時かもしれませんね

今までコントロールできた相手が
コントロールできないようになるのではないかという
焦りと自分の立ち位置の守り

つまり
自分を「守る」ためなのだ

親に
「誰のおかげで・・・」と言わせたのは
わたしだ
おそらく 薄い記憶では
反抗したのだろう
親の反対を押し切って何かをしようとしたのだろう

「誰のおかげで」
お前にしてやったから
お前は生きていられるのだぞ
いうことをきかないと今後はわからんぞ
という強迫としか受け取れない

脅迫または脅しとも言えるでしょうね
人は鏡ですから
脅されると怖いじゃないですか
ということは
脅す人も実は 内心 恐れをかかえているから
「誰のおかげ」と言う言葉が出てくるワケですよ

人は変化を好まない
このままではいけないとわかっていても
変化して それに対応することが怖い
なぜなら
どうなるか 予測がつかないから

予測がつかないから
面白いというのもあるんですよね

予測がつかないから
人は変化に対応しようと考えるようになる

それを阻止されると
変化がない生き方を強いられると何が起こるか

「思考停止」

考える力が育たなくなるわけですよ

あれだけ 多様性と言うくせに
「誰のおかげで」
まだ 言うか!

上下関係から 横のつながりへと
時代はゆっくりと変化していく
四季の移ろいのように
いつの間にか変わっているのに

まだ
「誰のおかげで」言うのか

人の自由を奪うことで
何が得れるのか
それは 仰る人しかわからないことですが
わたしから言わせたら
もう そんな時代ではないですよ

防災において
自助 共助 公助というが
自助できるようにさせなさいよ

自助できないようにしているのは
誰なのさと言いたくなるわけですよ

「誰のおかげで」という呪いの言葉

知ってます?
お互い様って 素敵な日本語

支えあうって 知ってますか?
誰のおかげで
という方は 自分の心と懐を支えてくれ
と脅迫しながら言うてくる

もうやめといたほうがいいですよ
通用しない時代となってきているのを
そろそろ気が付いた方がよい
逆に人は離れていきます
なぜなら それは ハラスメントだから

違う意味での 票ハラじゃないの?

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