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「完食しても意味がない」と屁理屈をこねる子供がいた

10万円の特別定額給付金を巡って、嫌なニュースが散見されている。なんで自治体によって配布時期がずれるのか苦情が殺到したり、ひどいところでは、すぐに支給しないとその場で自殺すると、刃物を振り回した男もいたらしい。39歳で自傷無職のその男は、4日近く何も食べていなかったと言う。

新型コロナウィルスに関連させた内容の詐欺も増えている。入荷日未定のマスク販売や、様々な特殊詐欺、科学的根拠がないにもかかわらず食品類に「コロナ対策」などと明言する行為も詐欺に含まれる。

日本だけではなくて、欧州をはじめとした先進諸国でも、治安の悪化は目立つ。フランスでは女性を襲う性的暴行が頻発しているらしい。人通りがなくなり、襲われても逃げ込む事のできるお店がどこにもないのが原因だ。

一方で良いニュースも見つけた。自殺者の減少だ。適当な表現が難しいが、自ら死を選ぶ人が少なくなっているのだから、少なくともポジティブなニュースではある。

ファクターとして考えられるものはなんだろう? 外出自粛などによって人付き合いが強制される機会が減ったからか。あるいは国や世界レヴェルでこの苦境を乗り越えようと言う空気感が生まれ、逆説的に生きる気力が湧いたか。もしくは遺書を書く気力すらなく死んでいく人が増えたのかもしれない(遺書がない死体は、自殺ではなく不審死として扱われる)。

無論、このまま不況が続けば、ゆくゆくはワースト記録を免れないという予測も出ている。当然だ。食事もままならないほど困窮している人がいる一方で、当たり前のように三食を食べたり、残したりする人がすぐ隣にいる国なのだ。失望して自殺するのも無理はない。ましてや法を犯せば腹を満たせるという欲にどうやって打ち勝つのか、私には想像を絶する。

最大幸福を求めた資本主義国家の闇だ。人が持てる幸福度を100点満点として、5人のうち全員が60点と、3人が100点で2人が自殺した時とでは、国家全体としての幸福度は同じになる。そしてこの手法は視点を限定すれば、完璧なほど平等なのだ。

勘違いして欲しくないが、私は社会主義者ではない。自殺する人を擁護するつもりもないし、暗いニュースと比較して自分の境遇に安心したいわけでもない。むしろ逆だ。自殺はやってはいけないことだし、それは私の生活にも常に背中合わせで潜んでいると思っている。だからこそ、いろんな人や社会動向の可能性に目を向けて、想像しなくてはいけない。肝心なのは、知ることだ。

学生時代ニューヨークのホロコースト博物館に行った。ホロコーストとは大量虐殺と訳せるが、固有名詞としてナチスドイツによるユダヤ人迫害の意味も持つ。いくつかの凄惨な展示物に心を打たれていたが、不意に私は、ある展示物の前で号泣してしまった。きっかけになったのは人種差別によって亡くなった人の多さではなく、収容所に閉じ込められガス室で死んだ一人の少女の遺留品である、レースのついたハンカチだった。彼女にとってそのハンカチはどんな意味を持っていたのか、苦しいほど想像が駆け巡った。誕生日にプレゼントでもらったものかもしれないし、憧れの青年の汗を拭いてあげたものかもしれない。そういう一人ひとりの人生が、600万人という被害者の数の多さに隠れてしまう。もちろん私たちが、虐げられた全ての人の人生を理解するのは不可能だ。ただ、知ってあげること、受け止めてあげること、その努力が大切なのだと思う。

小学生のころ、食べ物を残すと先生が、世の中には食べたくても食べられない人がたくさんいるのだと教えてくれた。そういう意見に対して、残さず食べてもその人たちがお腹いっぱいになるわけじゃない、などと屁理屈をこねる子供が必ずいた。ある意味、それはトレーニングだ。辛い状況にいる人たちを知ってあげて、想像力を膨らますには、日頃からの慣れが必要だ。

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