船旅でたっぷりマインドフルネスになるーーおがさわら丸トリップ記
沖縄も北海道も、行こうと思えば日帰りできる時代。いま、東京から最も「遠い」場所が、小笠原諸島(東京都だけど)ではないか。
広大な海原を片道約1000キロ、片道約24時間の船旅。同じ船が年間50数往復しているので、行って帰ってくるのに最短でも5泊6日は必要。いつかは乗ってみたいと思いながら、早幾年……。
「『いつか』は今だ!」。2022年暮れ、思い切って父島へひとり旅した。
意外とカジュアルな船内
私が乗船した時はコロナ中とあって、乗船の前日に港区の竹芝港でPCR検査を受け、その結果で翌日の乗船可能か決まる(陽性だったら電話が来る)、という厳戒態勢で、乗れるのかどうか直前までドキドキだった。
無事、乗船できることになって、竹芝港へ。
1万トン以上、890人ほどが乗れるとあって、大きくて立派な船体。船内は意外とカジュアル(簡素ともいう)で、じゅうたんがカラフル。8階立ての構成になっている。シャワーもある。中央の階段とエレベーターで上下階に移動する。
宿となる船室は、「特等室」(スイート)、「特1等室」(デラックス)、「1等室」(スタンダード)、「特2等寝台」(プレミアムベッド)、「2等寝台」(エコノミー)、「2等和室」(エコノミー)と、6段階に分かれている。
スイート、1等から売り切れ、次いで最もリーズナブルな2等和室が売れ、最後に真ん中の階級(?)が売れるのだという。
私はというと、松竹梅があると、つい竹を頼みがちな性格なのと、「せっかくなので」(この言葉口ぐせ、汗)、レディース専用のあった「特2等寝台」を選んだ。室内はこんな感じ。コロナ中だったので密にならないよう定員が抑えられていて2室分の空間を独り占め。これはぜいたくだった。
室内には上着をかけられるハンガーと、ベッドに下にスーツケースなどを入れられる収納がある。小型の液晶テレビがあったが、電波が届かないので、録画された謎映画(繰り返し放映されている)しか見られないので、ほとんど見なかった。2等寝台(エコノミー)でもさほど変わらないと思われる。
遠ざかっていく東京湾の景色
いよいよ出航。甲板で風に吹かれながら、ゆっくり遠ざかる東京の街を眺める。巨大な船なのでエンジン音もすさまじい。歌を歌っても周囲に聞こえる心配がないほどなので、鼻歌をくちずさんで気分を上げる。
東京湾からだんだんと沖へ出ていくと、海から真正面に見事な富士山が見えるポイントに出る。葛飾北斎の絵のよう。
船内レストランは朝、昼、夜と営業時間が決まっていて、船内放送でお知らせが流れる。放送が学校の寮か合宿所のような感じ。海を見られるお一人様席でランチに「島塩ラーメン」をいただく。
カレーやうどんなど、いかにも「食堂」といったメニュー。限定〇食で刺身定食も。
どこまでも、どこまでも、海ばかり
途中、遠くに三宅島や八丈島を眺め、伊豆七島を出ると、「太平洋ひとりぼっち」のように、行けども行けども、海しか見えない。陸地や島影が見えない海というのは巨大で、なんとも心もとない気持になる。その昔、島流しになった人はさぞ不安だったことだろう……などと想像する。
伊豆七島を過ぎると、スマホは完全に「圏外」になる。最初は海を見ているだけで幸せ、と思っていたけれど、だんだん手持無沙汰になってくる。
見回すと、甲板やカフェなどで文庫本などを読んでいる人が多い。なにやら手帳に書きつけている人も。旅行記かな?
そうそう、ちょっと前まで日本はこんな感じだった。老若男女、みんなすき間時間によく本を読んでいたっけ。通勤の電車内では週刊誌や新聞、漫画雑誌を広げていて、読み終わると降りる時に網棚に載せていって、次の人が何食わぬ顔でそれを取ってまた読んで……。いつのまに世の中こんなにスマホに支配されちゃったんだろう。
船内にはWi-Fiはない。東京湾を超えると携帯の電波も届かなくなる(途中で、三宅島や八丈島などの横を過ぎる時、わずかに電波を拾うポイントがある)。
このご時世、地下でもビルの屋上でも、電波がつながらない状態になることはほとんどない。これにすっかり慣れてしまい、圏外になると、なんとなく不安な感じさえする。わかっちゃいるのに、気づくと、ちょいちょいスマホをチェックしてしまう。「圏外」という文字を見て、あ、そうだよねと思う。結構なスマホ依存症患者だったと思い知る。
沖合いで低気圧に巻き込まれ、激しい揺れに
360度の水平線というのは、初めての経験だ。進めども進めども、海。どちらを向いても海。地球って、陸地は3割しかなくて、7割が海、海の惑星なんだ……と、改めて実感する。船旅はそんな途方もない海の大きさを実感させられる。
沖合いに出るに従って低気圧の中に入り、かなり揺れ始めた。立派に思えたおがさわら丸も、風に揺れる小舟のようだった。
船内放送で繰り返し、注意を促す放送が響く。危険のため甲板に出るのは禁止になり、揺れが激しいため、夕食時、食堂もお弁当の販売のみに。窓から外を見てもただただ漆黒の闇。時々風雨なのか波なのか、ざぶざぶと水が窓にたたきつける。満天の星を期待していたので、残念ではあったが、そんなことを言っていられないほど、揺れはどんどん激しくなってきて、無事に着くのか……と不安に。
おがさわら丸の船内にしつらえられた椅子やテーブルなどはみな固定されていて、トイレのドアも、寝室のカーテンも、強力な磁石で留められるようになっている。太平洋をゆくのだ。穏やかな海ばかりではないのだろう。
自分は地球に生かされている小さな命
揺れるベッドで薄い毛布にくるまっていたら、いつしか寝てしまっていて、ふと目を覚ますと夜明け近く、波はかなり収まっていた。よろよろと甲板に出てみると、あたりがうっすらと明るくなっていた。あれだけの漆黒の闇だったのに、わずかな夜明けの気配だけで明るくなり、空気が暖かくなってきた。やがて、太陽がじわりじわりと姿を見せ、強い光線を投げる。空も、海も、照らされる。地球全体が明るくなっていく。たった一つの太陽が、地球全体を輝かせ、暖めていく。船から見た太陽の威力に、ただただ打たれる。自分なんて、ほんの小さな一瞬の命で、地球に生かしてもらっているのだ……という、こわいようなありがたいような、えもいわれぬ気持ちがこみあげてきた。
朝のデッキで、こぼさないように気を付けながら飲んだ熱いコーヒーは、人生最高の一杯だった。
おがさわら丸に乗るだけの旅でもいい
おがさわら丸は、船内のしつらえは簡素だし、食堂メニューにも豪華さはない。小さな売店と、カフェスペースが少々あるだけ。Wi-Fiもない。
「現地で3泊しかできないのに、往復の船で2泊もしないといけないから、6日も必要でもったいない」という人もいる。
しかし、無限を感じる広大な海と空と地球を味わえ、デジタルデトックスな環境で読書にふけったり、自分と向き合ったりと、好きなように時間をすごせる。あんなぜいたくな船旅はないと思う。また乗りたい。
(島でのことはまた今度書きます)