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動物の足し算、距離の効果、ファジーな表象 /[書評]『数覚とは何か?[新版]』
数を扱うという能力は、わたしたち人間から切り離せないものであろう。それがなければ、わたしたちはスーパーで買い物をすることもできない。それがなければ、マンションを建てることもコンピューターを製造することも不可能だ。そしてその能力は、わたしたち人間にのみ認められる能力であるように思われる。
たしかに、複雑な計算を用いて人工衛星を打ち上げることなどは、ほかの動物にはけっして真似できないだろう。だが本書によれば、数に関する能力の原初的な部分は、生後数か月の人間の赤ちゃんにも(!)、ほかのいくつかの動物種にも(!!)認められる。本書は、その原初的な能力を「数覚(number sense)」と呼ぶ。視覚や聴覚と同じように、ヒトはそれを本来的に備えており、なおかつ進化の歴史をとおして継承してきたというわけだ。
しかし、数に関する能力は本当に動物にも認められるのだろうか。じつは、少なからぬ動物たちが数を数えたり、簡単な足し算をしたり、数を比較したりすることが、すでに多くの実験で確かめられている。ここでは、そのなかでもとくに印象的な、ガイ・ウッドラフとデイヴィッド・プレマックによる実験を紹介しよう。
その実験はチンパンジーを用いたものである。ふたつのお盆にそれぞれチョコレートを何個か載せて、そのどちらかをチンパンジーに選ばせる。当然のことながら、チンパンジーはチョコレートの個数が多いお盆を選択するはずである。そこで、片方のお盆には4個と3個を載せ、もう一方には5個と1個を載せたとしよう。チンパンジーはどちらのお盆を選択するだろうか。
そう、チンパンジーは前者のお盆を選択するのである。とするとチンパンジーは、まずそれぞれのお盆における合計数(4+3=7、5+1=6)を把握し、それから両者を比較した(7>6)とみなすことができよう。チンパンジーは簡単な足し算や数の比較ができるというわけだ。
以上のような実験を次々と示していくことによって、動物や人間の赤ちゃんにも数の能力が認められることを本書は裏付けていく。ただしここで注意すべきは、彼らは間違うこともあるし、その間違いには一貫した特徴が認められるということである。その特徴というのは、「距離の効果」と「大きさの効果」と呼ばれるものである。
先のチンパンジーの実験をもう少し詳しく見てみよう。2と6のように比較する数が大きく離れている場合には、チンパンジーがその大小を間違うことはめったにない。その一方で、比較する数の差が小さくなるとチンパンジーの正答率は低下し、数の差が1しかない場合には正答率は70%まで落ち込んでしまう。要するに、チンパンジーの回答はふたつの数の差(距離)に影響を受けてしまうのである。
と同時に、チンパンジーはそれぞれの数の大きさにも影響を受けてしまう。1と2の比較は容易にできるにもかかわらず、3と4、4と5の比較ではより頻繁に間違えるようになる。そのように彼らの数的能力には、「距離の効果」に加えて「大きさの効果」も認められる。そして、それらの効果が認められるのは、ほかの動物種(ハト、ラット、イルカなど)や人間の赤ちゃんでも変わらないのである。
以上の点を認識することは重要であると著者は言う。なぜなら、「それらの効果があることによって、動物がデジタルで離散的な数的表象をもっているのではないことが明らかになるからだ」(71頁)。数字のような離散的な表象を用いるのであれば、「2と6の比較は容易にできるが、3と4の比較はむずかしい」(距離の効果)ということはないだろうし、「1と2の比較は容易にできるが、4と5の比較はむずかしい」(大きさの効果)ということもないだろう。とすれば、動物や赤ちゃんたちは、離散的な表象とは異なる仕方で数を認識していることになる。
では、彼らは数をどのように認識しているのか。著者によれば、彼らのなかでは数が連続量によって表象されており、その意味でその表象はファジーである。そして著者は、その数的表象のあり方をイメージさせるものとして、「アキュミュレータ・モデル」なるものを提示している。このあたりの議論(72-101頁)は、非常に刺激的であると同時に、本書前半部の山場のひとつでもある。そのモデルがいかなるものか、そしてそのモデルによって距離の効果と大きさの効果がどう説明されるのかについては、ぜひ本書の該当箇所に当たってほしいと思う。
以上が、「数覚とは何か」に関する議論のポイントである。その後も本書は、じつに広い射程を有する議論を繰り広げている。数覚こそが、わたしたち人間が数を直感的に理解するための基礎となっていること。数字という記号体系をとおして、その原初的能力が高度な算術能力へと変貌していくこと。そして、数覚と高度な算術能力にはそれぞれ特定の神経回路が関係していること、などである。「ローマ数字の『I』と『II』と『III』は棒が並んでいるだけなのに、なぜ『IV』以降はそうでないのか」といった興味深いトピックも目白押しなので、それらについてもぜひ本書を参照してほしい。
本書は、原書の初版が1997年に刊行されている。それゆえ、神経科学の研究状況など、時代を感じさせる記述がないわけではない。しかしその一方で、本書には、いまあらためて知っておきたい実験結果やトピックがたくさん詰まっている。また今回の邦訳新版では、原書第2版(2011年)の増補部分が新たに収録されており、関連研究のその後の進展をたどることもできる。そうした点からしても、本書は現在でも読む価値は十分にあると言えるだろう。
著者のスタニスラス・ドゥアンヌは、『意識と脳』や『脳はこうして学ぶ』といった快作を生み出し続けている。わたしもそれらの著作を大いに楽しんだひとりであるが、すでに入手がむずかしくなっていた本書についてはまだ目を通したことがなかった。このたび文庫新版という形で手に取ることができたのは、望外の喜びと言うほかない。
[関連書]
意識をテーマとしたドゥアンヌの前著。
神経科学の視点から学習について論じた前著。レビューはこちら。