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◇21.自信のない空虚な自分
「デンマーク語で話すときは、自信がなくても堂々と話しなさい。そうやって話し続ければ、自然と後から力はついてくるから」
大学でデンマーク語を専攻したとき、指導教官から最初の授業で言われた言葉だ。30年近く前のことなので厳密には少し違ったかもしれない。ただ、自分が下手だからと小さな声でぼそぼそ話しても、相手には余計に伝わりづらく聞いてもらえない、せめて態度だけでも堂々としておきなさい、といった話だったと記憶している。
今ではデンマーク語で仕事をすることにも随分慣れたが、コミュニケーションとはスピーキングやリスニングといった技術より、その次の段階がもっとずっと難しいと感じる。
スモールトーク、いわゆるちょっとした雑談や世間話の始め方・終わり方、軽いジョークの飛ばし方、リアクションの仕方など、言葉をどう使うのか、つまりその言語・文化の持つノリに、即興で合わせていけるかということ。何気ない数秒のやり取りに「何と言ったんですか?」「よくわからないです」なんて野暮な反応を挟んでしまうとすべてが壊れてしまう。関西人だから余計にそう感じるのかもしれないが、たった数秒の流れるようなコミュニケーションを華麗にだれかと完結できてこそ、そこそこ流暢だと言えるのではと思う。
もうひとつ難しいのは、〈共通認識が強く文化的背景の近い人々〉同士のコミュニケーションについていくこと。大工さんの会話、製薬会社の営業マンの会話に、業界外の人が突然入って「これはどういう意味だろう」「きっとこういうことかな?」と想像しながら会話についていく感じ。とても難しい。
周りの人たちは、わたしがいるからといって会話の背景や、知らないことを逐一丁寧に説明してくれるわけではない。そもそもだれもわたしが何を分かっていて何が分かっていないかなんてことには関心さえない。やっとわかっていなかったことが少し見えてきた頃には、話題が全然ちがうことへとシフトしているなんてことも日常茶飯事だ。
そんな分からないことを少しずつ潰していく。そうやって周囲のコミュニケーションにしがみついていく。そんなことをずっとやってきた。
学校現場で働くようになった学校図書館時代は、文化的背景に加え、同僚との専門領域(業界)も異なっていたため、コミュニケーションの難易度はさらに上がった。
まず、子どもとの接し方が難しい。教員である同僚らはプロなので、子どもとの適正な距離(バウンダリー)を上手く取りつつ、フラットなデンマーク文化とはいえども、多少なりとも威厳を持って子どもと接している。一方、威厳もなにもない、東アジア系移民一世(わたし)がぽつねんと図書館カウンターに座っていても、子どもは同じように丁寧には話しかけてきてはくれない。「ねぇちょっとそこの人」「あんただれ」と言われたり、「チンチョン」と言って影でクスクス笑われたかと思えば英語で話しかけられるなど、冷たい歓迎を受けた。
冒頭の指導教官の言葉を思い出したのはそんなときだった。
ややおどおどしていたであろう自分も、背筋を伸ばし、こちらを怪訝そうに見ている子どもたちに「おはよう」と挨拶したり、「"そこの人"じゃなくて、さわぐりって名前なんだ。そう呼んでくれる?」と伝えたり。そうしていたら、少しずつ自然と受け入れられるようになった。
でも〈共通認識が強く文化的背景の近い人たち〉の中で仕事をするのは難しく、いつまで経ってもわからないこと、それも自分だけがわからないことはなくならなかった。デンマーク育ちのデンマーク文化背景を持つ教員やペダゴー(子ども支援士)、言ってみれば白人デンマーク人の同僚が9割ほどを占め、学校のある地域が生まれ育った地元という人もいる、そんな同質性の強い集団のなかでは、いわゆる暗黙の了解が多く、それを自分なりに理解してついていってるつもりでも、溝を埋めるのは容易ではなかった。やれないことはないのかもしれないが、とても長い年月がかかるのかもしれない。4年しかいなかったが、それぐらいじゃとても埋まらない。自信のない自分を変えることはなかなかできかった。
そんな中、自分が上手くやるにはとにかく周りを真似て同じようにすることだと次第に思うようになっていった。新しい業務を受け持つ度に、同僚らがこれまでやってきたやり方を注意深く観察し、それを一寸違わず継承する。皆にとってもっともスムーズな形で業務を進めるには、自分の気配、違和をその場から排除することだと考えるようになった。自分の気配を消し周囲に同調する。それがコミュニケーション力を上げることにもつながるし、滞りなく業務が進む方法だろうと思い至った。
自分の容姿や言葉のアクセントは消せないけれど、それ以外の気配は徹底して消す。そんなことをしていたら、職場でのコミュニケーションは以前より何となく向上したような気がしたし、表面的にはそれなりの成果物はできていたけれど、自信は一向につかなかった。
できるだけ周囲と同じようにしたいと真似をしても、かれらと同じ域に達するわけではない。そもそも言語力、表現力が違う。どれだけ真似たところでそれはわたし自身の言葉ではなく、その行動の根本となる経験が違うから説得力もない。表面をなぞっているだけでは中身のないものができあがるだけ。その芯のなさを実感すればするほど、自信はもうだだ下がりだった。
周囲に溶け込もうと自分の気配を消すことに注力した理由は、他にもうひとつある。
2018年1月、わたしは永住権(正確には無期限滞在許可)を申請した。こちらで暮らし始めて15年かかってやっと申請できたのは、学生をしたり、職探しに時間がかかったり、また正規ではあっても有期雇用のため「連続3年半以上のフルタイム、あるいはそれに準ずる勤務時間」という条件を先を見越して(申請中も在職であることが条件)満たすことができなかったから。
同時期、デンマークでは毎年のように外国人の滞在許可申請の条件が厳しくなっていた。フルタイムかそれに準ずる就労に加え、住居の大きさ、預金額、語学習得、学校やアパートの役員といったボランティア活動をしていることなど、さまざまな条件が加えられ、ひとつでも欠けると許可されない。就労期間に関する規定は毎年増やされていたから、「また今年も申請できないや」と、先延ばしにしながら過ごしたことも何度かある。
それと並行して、デンマークに長期滞在する外国人への視線も厳しくなっていた。〈福祉に依存する人はお断り、社会に役に立つ人、労働力の足りない仕事をしている人ならここにいても良い〉そんな言葉が、政治家だけでなく一般の人々からも聞こえるようになっていた。
外国人へのひりひりするような厳しい視線をメディアを通して日常的に受け取っていると、自分は役に立っているのかいないのかを次第に意識するようになる。特に学校を卒業し、就職先がなかなか決まらなかった時期は、この国で自分はお荷物なんだと、求職中であることを初対面のデンマーク人には語れなかった。自分の気配をなるだけ消し、社会の中で静かにしていなければ批判の対象になると思っていた。
正規の仕事を得て、永住権申請のための条件をクリアしても、申請条件となっている暮らし方、つまり多くの点でデンマーク人と同じような社会生活を営んでいることが〈優良外国人〉の条件であるというプレッシャーは消えなかった。好きなように生きたいと願うことはとてもできなかった。だから自分の気配を消して、周囲に同化することでしか評価されないと思い込むようになっていた。
永住権を取得したとき、やっと自分もこの国で評価される存在になったのだと誇らしい気持ちになったのは確かだ。でもその後すぐに、自分が内側から崩れ落ちていくような感覚に陥った。やっと「役に立つ外国人」として自分の存在が評価されたのだという思いとは裏腹に、誰かの真似ごとをしているだけだという空虚さを感じずにはいられなかった。夫の存在に依存せず、自分でこの国に滞在するという選択肢は、結局だれかの真似ごとをして評価されないと得られない。自分をただ肯定して生きることは許されていないのかと思うといたたまれない気持ちになった。そして、自分がずっと持てなかった自信は、この社会で誰かの真似が上手くできているか、社会で役に立っているかとは関係ないのでは、むしろ自分の中から湧き出てくるものであっても良いのではと思うようになった。
しばらくの間、糸の切れた凧のようにふらふらと落ち着かない状態が続いた。これからどうして生きていけば良いのか、仕事にどうやって向き合えば良いのかわからなくなってしまった。お世話になった人たちへの感謝は常にあったし、デンマーク人を敵視しているわけでもない。孤独を感じていたわけでもなかった。でも気づかないうちに自分を明け渡しすぎていた。そう思った。空っぽな自分を、これからどうやって満たせば良いのだろう。時間だけが漂うように過ぎていった。
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