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死ぬまでエブリディ

たまにしか書かなかったnoteを最近毎日書くようにしました。目標とかかたい感じではなく、理由はなんだろうと考えると二つほどある気がしています。と言うくらいぼんやり始めました。

一つは、あれ、それ、あの、その、で言葉がでなくなってきている(老化現象?)ことや人になるべくうまく説明したいという欲がわいてきて言語化の練習をしたくなりました。まわりの数少ない理解者がこちらのつたない言葉の中から意図を汲んでくれることに助けられてることも多いですが、そんな小さな繋がりの中でも違った受け止め方をされることも勿論あるわけです。逆もまた然りですね。またその小さな輪の外でいくらでも説明する場面はあります。全部は勿論お互いに伝えあうことは難しくとももう少し手を尽くしたいと、またそうすることで相手の言葉の感じ方の幅も拡がるかな、欲張りかな、とかそんなことを考えてみました。

二つ目は、あまりに毎日が早くすぎてしまうのと親の亡くなった年齢までは生きようと考えるとタイムリミットをどうしても感じてしまうのです。言葉にすると少し重いかな、そこまで切迫感があるわけではないです。ほんのりですが、自分の体力やモチベーションなどの資源を意識してしまいます。もう少しだけ生きている体温をあげたいような、出力を少し上げたいと思ったのです。これも生きる欲かな、生きている証明をしたいのかな、人生を楽しみたいのかな、そんなところです。

すごく疲れている時に書くのはしんどい時もあります。書いてスッキリする時もあります。続けはじめて最近感じたのは、仕事でぐらぐらしている時や休日にダラダラしてしまう時も何かその継続のおかげが、自分の中に葉脈らしきものが出来てきたことで少しは自分を保てているのかしらと思ったりしています。これは思わぬ副産物です。

とかなんとか書いていて急にやめたらやめたでそれもまた人生ですね。小さな実験をいくらでもやったらいいじゃない、そんな気分です。

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