夜明け前の空の色をした無花果のゼリー 〈菓子四季録 vol.5〉
そのお菓子は、色に見惚れてしまうお菓子だった。
料理でもお菓子でも、野菜でも果物でも、食べ物の見た目を愛でるのは楽しいことだ。今回紹介するお菓子「無花果と白ワインのゼリー」も、味覚だけでなく、視覚でも楽める一品だった。「色」がとにかく美しい。
初めてこのメニューを食べる前、いちじくと白ワインを使ったゼリーだという情報を聞いていた私は、皮を剥いたいちじくのゼリーなので色は無色透明に近いのかな、もしくは、白ワインのようなほんのり薄く緑がかった色なのかな?と想像していた(菓子四季録では菓子研究家の淳子先生がレシピを作っており、私は実食当日まで試作の写真を見ることがない。実食の日がファーストコンタクトになるようにしている)。
そして実食当日、予想外の色と出会うことになった。ゼリーは、いちじくを切った中心部の色をしていた。少しだけ黄味寄りの、やさしくて淡いピンク色。
なぜそのような色になるのか。作り方を大きく三つの工程に分けて書いてみた。
工程(1)皮を剥いたいちじくを白ワイン、レモン汁、グラニュー糖、はちみつ、水でできたシロップで煮込み、コンポートにする
工程(2)コンポートにしたいちじくをシロップに入れたまま一晩寝かせる
工程(3)いちじくを取り出したシロップにアガー(ゼラチンや寒天と同じ凝固剤の一種)を加えてゼリーを作り、いちじくと一緒にグラスに注いで冷やし固める
この(1)(2)の工程で、シロップ(=ゼリーになる部分)にいちじくの色が移っていく。
ほんの少しだけオレンジがかった淡い淡いピンク色。そんな「いちじくの中心部の色」を名前で呼んだことがなかったので、色の名前を探してみたら、ぴったりの色名が見つかった。それは「曙色」という色。別名「東雲色」とも呼ばれるらしい。
清少納言の枕草子で有名な一節「春はあけぼの」も、この「曙」のことらしい。時間が経てばすぐに消えてしまう夜明け前の一瞬というものが、ぎゅっと押したらすぐに潰れてしまういちじくのやわらかさと、透明で、光を通すゼリーの色とよく似合っていると思った。
いちじくの色がゼリーに広がるように、いちじくの味もまた、ゼリー全体に広がっていた。
一口食べた瞬間、「これはいちじくが拡張されたお菓子だ」と思った。お菓子を食べて「素材が拡張されている」という感想が思い浮かんだのは初めてだったが、私の中では「拡張」という言葉が一番しっくりきた。私が感じたいちじくの「拡張」は、ゼリー部分にいちじくの情報(食感は除く)がインストールされて、いちじくが複製されたようなイメージ。それではとうもろこしのスープやじゃがいものポタージュも「拡張」なのでは?と思う方がいるかもしれないが、それらは私の中では「拡張」というよりも牛乳やブイヨン(出汁)で希釈されて素材の味が全体に「拡散」した、という方がイメージに近い。ゼリー部分を食べても、まるでいちじくを食べているような不思議な感覚になるお菓子が今回のゼリーだった(不思議と言ったが、もちろん美味しい)。
いちじくは、少し熟成されたような、お酒のような香りを持っている。みずみずしいフルーツの爽やかさとは異なる魅力。甘さについても他のフルーツ、例えば同じ季節に見かけることができるシャインマスカットの「甘い果汁を楽しんでね!(とびきりの笑顔とウインク)」と話しかけてくる甘さとは少し違う、「……(無言で微笑む)」というような奥ゆかしさがある。ちょうど「曙」という言葉は雅語(主に和歌などに用いられた平安時代の言葉)だということで、いちじくの奥ゆかしさにぴったりだと思った。
実を割って食べたら、一瞬で食べ終わってしまういちじく。ゼリーにしたら、ゆっくり、たっぷり、味わうことができる。うっとりとグラスを眺めながら、少しずつ食べ進める。秋は、いちじくを通してグラスの中で、夜明け前の空と出会える季節だと知った。
いちじくのお菓子を食べて、色の名前に想いを馳せることになるとは予想していなかったが、お菓子を食べて色の名前を考えるという思わぬ楽しみを見つけてしまった。これからも、たくさんのお菓子と色と言葉を味わっていきたい。
無花果と白ワインのゼリー
味覚の秋。梨やシャインマスカットをたくさん食べて、そろそろ気分転換かなと思っている方は、ちょっぴり大人ないちじくの魅力に浸ってみるのはいかがでしょう。ゼリーは特別な道具やオーブンが不要で気軽に作れるので、いちじくが出回るこの季節、ぜひお試しを。
材料
作り方
作り方(全文)
菓子研究家 福田淳子先生のレシピ解説はこちらです。作り方や材料のポイントが掲載されています。写真入りの記事なので、グラスの中に広がる曙色が気になった方はぜひ、こちらもどうぞ。そして記事のタイトルが、このお菓子の美しさをまさに言い表しているのです。
ゼリーの魅力の描写を味わっていただきたいのはもちろんですが、もう一つ着目していただきたいのが、いちじくと向き合う時間から生まれた予想外の着地点。結末をどうぞお楽しみに。
無花果のゼリーの菓子四季録、おしまい。